引退しよう

ウィークデイは事務員、休日はラジオの研修。そんな生活が始まった。
 
 年内にはコミュニティFMミヤラジが開局、放送を開始する。それまでに発声や話し方、放送のルール、機材操作などを学び、一人でも放送業務すべてをこなせるよう準備を整えなければならない。小さな放送局なのでワンマン放送という時間もある。覚えなければ行けないことは山というほどある。これまでランニングに充てていた時間は、ほとんどがラジオのトレーニングに。走友ともしばしお別れ、年齢も性別も仕事も違う新しい仲間たちと一緒に学んだ。役者、司会業、記者、主婦など様々な経験を持つ面子の中で、何でもない不器用な僕は随分と不出来な研修生だったけれど、何しろ持久力と忍耐力はある。マラソンと同じようにブレイクスルーのポイントが訪れると信じて、仲間の背中を見ながらじりじりと前に進んだ。

 時々、リフレッシュの為にジョギングはしていたものの「今は走らなくてもいい」とも思っていた。名古屋-東京を走り終えた時に、僕の第一次マラソンブームは終わっていたから。先輩ランナーの姿を見て来たので、「焦らなくてもいい…」、何年か時間をおいてまた走り出す日を想像することもできた。実は、履歴書を出した段階で「マラソン引退」とすら思っていた。放送が始まってしまえば、年末年始だろうと担当日にはスタジオに缶詰、まとまった休みを取るのも難しい。「勝手にウルトラマラソン」も日光社参で終わりにするつもりだった。不思議なくらい悔いはなかった。

 しかし、まあ、ご想像の通り、毎度のことながら、僕に憑りついたマラソンの神様は奇跡的に往生際が悪かった(神様だから往生はしないのかもしれないけれど)。

 研修もそろそろ終わりというある日、社長から「開局日を年明けに変更する」ことが発表された。局にもいろいろな都合はあったのだろうけれど、僕はピンと来た。この偶然はマラ神様の仕業だと。だって、年末年始に予期せぬぽっかり休暇が現れるなんて、話が出来過ぎている。「うちのカミサマの所為で開局が遅れてすみません」と思いつつ、また聞こえて来た「やっちまいな」の声を合図に、ひとつの決定が僕の中で下された。

 実を云うと「勝手に大坂の陣」のコースは日光社参を終えた2週間後には出来上がっていた。たった2週間後にだ。

 でも、名前は全く違った。「日本一の腹ぺこグルメマラソン」という恥ずかしいネーミングの企画ランは、ある懸賞の為に考えたものだった。ニッポンハムが募集していたその懸賞は「100万円でできるあなたの夢の旅をプレゼント」というもので、アイデアが採用されると実際にその旅をニッポンハムの経費で実現してくれるというものだった。日光社参を終えたばかりの僕は、家康三部作の完結編として「大坂の陣をなぞるマラソンができたら良いな」と思っていた。そんな折に見つけたぴったりの懸賞。ただ走るだけでは100万円に程遠いので、その道すがら名店に立ち寄り、高級料理を食べながらゴールを目指すという企画を練り上げた。当選すれば、ゴールデンウィークにグルメランになる予定だった。しかし、結果は落選、お蔵入りとなっていた。

 このランが実現すれば、これまで3年間のコースが一本の線で結ばれたはずだった。生家岡崎城や、攻め落とし居城となった大阪城、墓所である日光東照宮全てを自らの脚で周り切ることになる。その為に、走っていない名古屋以西を走りたかった。スタートは名古屋、ゴールは大坂城。3日で225キロの道程。もともとその予定だったかのように、この企画が年末年始にぴたっとハマった。

 「やっちまおう…」

 そして、名古屋を出発地にするのであれば、あの男と走りたかった。名古屋-東京の時に応援ランに駆け付けてくれたばんばさんである。あの時は10キロ程のわずかな距離だったけれど、トレーニングを積み、今や自主ウルトラを企画・実走するまでに成長した猛者。ブログを通して日々の走りを見ていた僕は、この人と勝手にウルトラをやったら面白くなると、機会を伺っていたのだ。もし懸賞に当選していても、いくらかは一緒に走っていただろう。

 すぐにばんばさんにメッセージを送信した。突然の誘いにも関わらず、尾張の熱血漢は「やります」と即答してくれた。こうして、埋もれていた「勝手に大坂の陣」は再生、名古屋から琵琶湖、京都、奈良という歴史街道を巡り、大阪城を攻め落とす3日間225キロ、年末年始3日間の戦が決まったのだった。

 それぞれに準備を進めた。ルートの確認、宿の手配、装備の見直し、やることは沢山あったけれど、もう5年も続けてきたことだ。12月上旬にはすべての準備を終えることができた。トレーニングは不足していたけれど、不安はなかった。経験が、それを知っていた。あとはもう走るだけ、忘れられない年末年始にしよう。

 準備万端、12月30日早朝、2年ぶりの名古屋城正門に僕は向かった。