走るを選ぶ

2017年1月1日、新年を京都で迎えた。そして、勝手に大坂の陣、最終決戦の日が始まる。京都から奈良、そして、生駒山を越えて大阪城へ。75キロの道程だ。3日間に渡った旅も今日で終わり。

新年だというのに、駅前の牛丼屋で朝食を済ませた僕とばんばさんは、まず方広寺へ向かう。この寺には、大坂の陣のきっかけになった鐘がある。豊臣家が作った鐘に掘られた「国家安康」の文字、これが家康の名を分断させようという意図だろうと、そこから戦になるなんて。そんな理不尽な理由で、家に攻め入られても困る。がしかし、それが史実なのだから、始末に負えない。いつの世も理不尽なことってあるんだな。でも、走ることには理不尽さはない。冷え込む盆地に体温を奪われないように、体を動かして熱を作った。

伏見稲荷大社で初詣。早朝にも関わらず凄い数の人だ。手を合わせ、みんなの健康と今日のゴールを祈る。もう何だか、最近は健康ならそれだけでいい。「走る→食べる→眠る」というサイクルが、自然に保たれ繰り返されていれば、人生はそれだけでいいと思う。それもすべてマラソンが教えてくれたことだ。清々しい気持ちでお稲荷さんの本家を後にした。

「おおかみこどもの雨と雪」という映画が好きだ。

狼男の人間の女の間に生まれた姉と弟の成長、夫を亡くし一人でふたりを育てる母の姿を描いたアニメーション。この物語、解釈や見方も人それぞれで、評価も真っ二つに分かれる作品。オオカミと人間のハーフである二人は成長するにつれて、その性格を人間性と野生の2方向に分かつ。姉は人間性、苦悩しながら歯を食いしばり野生を抑えて、社会に溶け込もうと努力する。弟は野生、人間社会に溶け込めず、オオカミに、また、自然の中に居場所を見出す。

「どちらを選ぶのか?」

そう問いかけられているような気がする。

晴れた空を眺めながら、時代時代の都をつなぐ道を行く。奈良への道はひたすらに長く、気持ちを急がせるが、脚は思ったよりも動かない。

朝から咳をし続けているばんばさんは尚更だった。本当のところはばんばさん自身にしかわからないけれど、僕からみたら、見るからに病人だった。走れる状態ではなかったと思う。それでも、それでも、この人は懸命に走る。距離感は難しいが、少し前を行く。離れたら立ち止まり、ばんばさんが追い付くのを待った。果てしない道程を、果てしない時間をかけて奈良県に辿り着いた。

 奈良市内では、のんびりと大仏見物をしている暇はなかった。山越えを前に日が沈んでしまっては、完走も危ぶまれる。ゆっくり休憩したい気持ちと急く気持ちがせめぎ合った。平城宮跡を越えると、徐々に負荷が増してくる。登りが始まり、山越えを感じ始める。想定していた道が通れず、確認をしながら進む。辺りはオレンジの空が藍色に変わりはじめる。夜が近づく。

そして、ハプニングは起きた。予定したルートでは生駒山を徒歩で越えられないことが分かったのだ。大阪城への道は、激しく遠くなった。数十キロ単位の迂回をするか、険しい暗峠を越えるかという選択肢が二人に突き付けられた。

「どちらを選ぶのか?」

 喧嘩した。東生駒駅の前で、そして、暗峠入口に場所を移して、お互いの主張をぶつけた。僕は、大きくルートを変更、迂回して時間さえかければ大阪城に辿り着ける体力を確信していた。ばんばさんの体調は見るからに思わしくなかった。暗峠を越えるのも、大きなルート変更も深刻なダメージに繋がるかもしれない。

結局、僕は、ほとんど無理矢理に、ばんばさんを電車に押し込んだ。たった一駅、ヒトが作った暖かい電車に揺られ、ヒトが掘ったトンネルを抜けた。繋いで来た線はぷちんと切れたのかもしれない。でも、ここまで走ってきた道程は変わらない。いつかまた、途切れた糸を結びなおすこともできる。

石切駅で電車を降りたふたりは大阪城へと走り出す。思っていたのとは少し違う、カッコ悪いエンディングが近づいてくる。駆け付けた走友と共に、いろいろな気持ちを抱えたまま、23時5分、大阪城へ辿り着く。232キロに及ぶ勝手に大坂の陣が終わった。

 負け戦だったでしょうか?

でもね、もうね、そんなことどうでもいいんです。物語でも何でもなく、誰に評価されたいわけでもなく、ただ走りたいままに走る。それだけの3日間でした。それが全部で良かったと思うわけです。オオカミに、野性に。そして、沢山の人に出会えました。これが僕のやりたかったことです。ばんばさんとは、その後、ゆっくり話をする時間がなかったけれど、それはまた次の機会に、暗峠で。