ウルトラマラソンに申し込んでからというもの、自然と走行距離は伸びていった。20キロ、30キロといった長い距離を走る頻度も「月に一度」から「週に一度」に変わっていた。買ったばかりのランニング用のバックパックに着替えを詰め込んで、県内各地の温泉に向けて走りまくった。目前に控えた初めてのフルマラソンのことなどすっかり忘れて、それ以上の距離50キロを一日で走ったりもした。42.195キロへの不安はなくなっていた。にも関わらず、ウルトラマラソンへの自信には繋がらなかった。50キロを走れたところで、もう50キロをすんなりと走れるとは到底思えなかったのだ。消せない不安を抱えたまま年末が近づいていた。

2011年12月20日(火)

どうしてだろう。その朝は4時に目が覚めた。ふと、部屋の隅に置かれたバックパックがこちらを伺っているような気がした。仕事は休み、特に用事もない。本当ならゆっくりと起き出せばいい朝だった。何も好き好んでこんな寒さの中に飛び出さず、ぬくぬくとした布団の中で冷えきった肩をもう一度温めてやるべきだった。でも、気付けばバックパックは目線を反らさずこちらを見続けていた。

「参ったな...」

どうやら、この日のシナリオは何百年も前から決められていたらしい。僕は、ただ諦めて、ノソノソとベッドから這い出し、ランニングウェアに着替えた。満足そうに口を開けたバックパックに着替えとタオルを詰めて、僕は家を出た。ウィンドブレーカーを着ても、グローブを2枚重ねにしても、寒さはどこからか体に浸み込んできた。ただ寒いだけの朝だった。



白い息を吐きながら2キロ程進むと、国道4号線に出た。するとそこには不思議なものが立っていた。腰の高さ程の三角柱に何やら文字が書かれている。

「東京から99キロ」

一体誰が何のためにこんなものを立てたのか。走行中の自動車から視認できるサイズではないし、散歩するおじいちゃんやママチャリで買い物に行くおばちゃんに、東京からの距離を知る必要などない。これはあからさまな悪戯だった。ウルトラの神様が仕掛けたブービートラップにまんまとはまってしまったのだ。もうただ東京に向かうしかなかった。



一度ゴールを決めてしまうと、ただ走るだけだった。いつもの練習と変わらない。50キロを越えても60キロを越えても順調に進むことができた。疲れてきてはいたけれど、走れなくなるような痛みはない。早く着いたら皇居も1周してしまおうかとまで考え始めていた。



しかし、そんな楽観が許されたのは僅かな時間だった。残りが42キロ、フルマラソンと同じ距離になったころから急に力が入らなくなってきた。一気にペースダウンし体が急速に冷えた。もう熱を発することができなくなっていた。完全なエネルギー不足、補給ミスだった。ギリギリの状態でマクドナルドに駆け込んだ。コーヒーを何杯飲んだだろう。ハンバーガーを食べ終わってもしばらく震えていた。もう一度熱が戻って来るのをひたすら待って1時間が過ぎた。

再び走り出した時には夕方になっていた。体を冷やすのが怖くて何度も自販機でココア買った。その度に何だか情けない気持ちになって泣きそうだった。自分が何をしているのか分からなかった。ただただこの状況が終わることを切望しながら少しずつ進んだ。走ったり、歩いたり、止まったり。一体、何をしに来たのだろう。



東京駅近くに着いた時には21時近くになっていた。当然、皇居を1周する余力も時間もなく、ランニングステーションに着くなり、床にへたり込んだ。

「ああ、終わった」

ただ、そう一言だけ云って、107.8キロの旅が終わった。何かを感じる余裕がなかった。機械的にシャワーを浴びて、機械的に新幹線に乗った。僕が半日以上を費やして移動した距離を、新幹線はいとも簡単に進んだ。





数日経っても年が明けても、全く突飛で無茶苦茶なこの練習が役に立ったのか、分からなかった。それが意味を持ち始めるのはずっと後のことだったのだ。