人生には、時々、突然メンターが現れる。

遡ること10か月、2月23日の朝、東京マラソンでその人と出会った。寒い寒い曇り空の都庁、手荷物預かり所で、僕はギョウザマンのスーツに身を包み、その人はボランティアジャンパー。仮装した友人と大勢のボランティアさん、みんなで記念撮影をした。袖振り合うも他生の縁だろうか。後日、ネットのどこかにその人を見つけた。真摯な態度で走ることと向き合い、魂の燃やし方に長けたアスリート。母としての温かなまなざしと、職業人としての気概、瑞々しいそのライフスタイルに強い影響を受けた。

もしかすると、唯一彼女だけは、初めからこの旅の意味を知っていたのだと思う。



5日目の朝は穏やかだった。ホテルでゆっくり朝食を摂って、スタート地点へと向かう。最終日の今日は距離も一番短い。およそ65キロ、去年リベンジを果たしたその道を逆走する。駅に着くと2人のランナー、やっぱりいた慶太さん。そして、僕をウルトラの世界に引き込んだ張本人のガッキーさんが駆け付けてくれた。午前8時、和やかに平塚駅前を出発した。

優しい海風を浴びて湘南そのものだったけれど、気分はまるで地元栃木を走っているようだった。ここまで走ってきた道程を思うと、もうゴールはすぐそこに感じられた。ただ足を運ぶだけだ。力が抜けたのか、かえって気持ちよく走れた。途中、藤沢では元祖箱根駅伝のランナーたちとスライド。戸塚では、大踏切の上にかけられたデッキを渡る。横浜、さらに3人の仲間と落ち合い、昼食。そして、ついに東京へ。ああ、帰ってきた。



走友たちの予想に反して、僕の脚は先を急いだ。それでも予定の時間には遅れていた。

「誰か待っている人がいるかもしれない」

バックパックには出発前にしたためた恋文が入っていた。与兵衛の気持ちを受け取るおイネさん、その生まれ変わりがもし皇居で待っているのなら、文を渡し、その人と歩みだすのも運命なのではないかと思っていた。夕暮れの東京に、呼吸を弾ませた。



でも、東京タワーに差し掛かったころ、僕は気付いた。5日間信じ望んできた偶然がそこにはないだろうということを。そして、僕にとっての今回の旅の原動力が何であったのかを。

「あの人が走らせてくれたんだな...」

彼女は最初から、この冗談じみたこの企画を笑いもせず、応援してくれていた。そして、旅の過程で僕が得る「気づき」を知っていた。

僕は、その人をオイネさんと重ねていた。ただ、それは、見当はずれな物語。



2015年1月2日夜7時、僕らは皇居にたどり着く。

砂利をザクザク鳴らしながら桜田門へと向かう。

誰もいない桜田門へ。

そう、そこに、おイネさんはいなかった。

一しきり、名残惜しそうに桜田門を行ったり来たり。

やはり誰もいない。誰も来ない。



「きっと遅すぎたんだね」

「いや、早過ぎたのかもしれねえ。いずれにしても時と国が違ったってことさ。でも俺は満足だ」

与兵衛のその言葉には不思議な潔さが感じられた。

諦めて、僕は生垣の前に腰掛ける。

バックパックから、与兵衛がおイネさんに宛てて綴った恋文取り出す。

震える声で読み上げる。


 「おイネさんへ

  おめえさんに笑って欲しくって

  此処まで走って来やした。

  どうか笑ってやってくだせえ。

               与兵衛」


その声は、桜田門の上空高くへと昇り、解けていった。

と同時に、5日間並んで走った与兵衛の魂が宙へと駆け上がっていく。

与兵衛は、空高くから米粒よりも小さくなった僕の姿を見下ろしていた。


「おめえさん、こんなにちっぽけだったんだな...。でも、ありがとな...」

「そうだよ、ちっぽけだ。でも、またどこかで一緒に走ろう」

ふと与兵衛は姿を消し、僕の旅も終わったのだった。

ちっぽけな僕は、まだ治まらない動悸を感じた。生きているんだなあ。いつか死んでしまうんだな。そう思うと涙が止まらなくなってしまった。

「よし帰ろう...」

バツが悪そうに立ち上がり、仲間に目をやると、僕は東京駅へと歩き始めた。

ビル風に煽られたのぼりが、僕の背中でいつまでもバタバタと旗めいていた。


(終)