反省会の席で

大晦日からひと月ほどたったある日、僕らは「パンドラの箱」という意味深な名前のビストロに集まっていた。春に宮城へと転勤する慶太さんの激励会と、勝手にウルトラマラソンの反省会を兼ねて。

「温泉に入りたいね」
乾杯が終わるなり、まーちゃんはそう云った。

まーちゃんというのは、ジムのラン仲間のひとり。何たる物好きか、大みそか早朝、宇都宮タワーでふたりのスタートを見送った後、ひとり20キロのジョギングをこなし、電車でスイッと東京に先回り、ふたりのゴールを迎えてくれた女子である。

「それは次の大晦日の話?どこの温泉?」
「んー、伊豆とか箱根とか…。」
「箱根駅伝?」
「あれって片道どれくらいあるの?」
「108キロ」
「じゃあ、1区から5区まで通し?」
「山の神だねぇ、あはは」

全く他愛のない冗談だった。まだ2013年は始まったばかり、年末の予定なんて知る由もない。慶太さんだって、果たして帰省できるのか分からない。千住新橋の上で云った「リベンジする」という言葉に二言はなかったけれど、その時はまだ、それぞれが別にリベンジするんだろうなあと思っていた。結局、その夜、パンドラの箱は開かれず、後日、慶太さんは宮城へと旅立っていった。春、大晦日の不思議な結束は解け、「スタンド・バイ・ミー」のようにみんな少しずつ他人に戻っていった。

でも、僕も慶太さんも、そして、まーちゃんも、結局その冗談を忘れられずにいた。夏の匂いがしてくると、いつの間にか各自が調整を始めた。ルートの確認、試走、宿の予約、冗談は冗談のままに、何故か確固たる予定に変わっていった。そして、この冗談にすっかり飲み込まれたのがまーちゃん。

「私も半分くらい走って、残りはマネージャする」

と言い出した。半分走っても54キロあるのに、その後、車で先回りしながら終盤をサポートしてくれると云うのだ。もはや一般女性の云うことではない。夏場の走り込みを経て、うら若き乙女は、猛者へと変わっていた。

「嗚呼、ミイラ取りは本当にミイラになるものなんだな」と僕は思った。

あっという間に一年が過ぎ12月30日、日本橋にほど近いホテルに僕らはチェックインした。




終わりのはじまり

2013年12月31日、朝の空気は冷たかった。大手町読売新聞社前に集まったのは、盟友である慶太さん、そして、新たな仲間まーちゃん、僕の3人。勝手にウルトラマラソンのリタイアから1年。とうとうリベンジの日がやってきた。胸には、最後まで運びきる「繋がない襷」を掛けている。これを運び切ることがリベンジの証、今回のランの最大の目的。朝5時、108キロ先の芦ノ湖 箱根駅伝ミュージアム前を目指して、3人は走りだした。

しかし今回は地元栃木を離れてのラン。道も馴染みのないところが多い。迷って時間を無駄にすることもあるはず。そこで、ゴールタイムは設けないことにした。これで不安要素は一つ解消、とりあえず這ってでもゴールすればいい。ここ東京では仲間の応援も期待はできない。でも今ここには3人の仲間といる。それがとても心強かった。

そして、5キロも走らないうちに、なんと仲間は4人に増えた。こえびさんの登場である。ブログ仲間が「ジョギングついで」と云って、差し入れを持って来てくれた。そして、驚いたことに少し一緒に走ってくれるという。そして、この「少し」というのは、ほぼほぼ「東京都内全部」という意味だった。後から聞いたところによると、「どこでやめればいいか分からなかった」らしい。空が明るんで来るまで、こえびさんは案内人を引き受けてくれ、順調に都内のランを消化することができた。

「明日へ走る」

そう刻まれた鶴見中継所の銅像が程なくしてやってきた。一区を走り終えた僕らのゴール、ではなかった。自分から自分へ、気持ちの中で襷をつなぐ。3人ともまだまだ元気だ。フルマラソンを走り慣れたカラダなので何ともない。残り80キロ以上、こんなところで時間をロスしている場合ではない、休憩をそうそうに切り上げて「花の二区」へとずんずん進んでいった。

意外にも鶴見中継所を越えた後も応援をもらえた。ネットの仲間が駆け付けてくれたのだった。

戸塚中継所までの二区は、前半の山場。横浜の中心を抜け、その後はアップダウン、かの有名な権田坂もある。そして、今ではコースから外れてしまったけれど、戸塚駅前の大踏切。本家箱根駅伝と違って自動車専用道路を走るわけにいかないので、旧コースを通る僕たちには「開かずの踏切」が待っている。最長で1時間10分閉まりっぱなしという難所が僕たちを待ち受けている。

「もしも引っかかったら…」

当然、迂回して戸塚駅内を抜ければ、少しのタイムロスでコースに復帰できる。けれど、それは箱根駅伝の旧コースから外れることを意味した。踏切待ちは甘んじて受け入れることが、暗黙の了解になっていた。みんなドキドキしながら、花の二区を消化していった。

果てしない距離を走るウルトラマラソン、3人のペースはまちまち。登り坂が苦手な者、下り坂で飛ばせない者、それぞれが違うペースだったけれど、付かず離れず。無理にそばにいることはしない。お互いが疲れないペースを守りながら進んでいく。

そして、やがて戸塚がやってきた。3人は隊列を整え、目の前の光景に目を凝らした。

踏切は…

開いていた。

けれど、開いているのは一瞬なんじゃないかと、足早になる。僕たちは、無事、踏切を渡り終えた。

最初の難関だと思っていた大踏切を難なく制した僕たちは安堵した。

「でもさ、大晦日だから電車少ないんじゃないの?」

杞憂?

笑いながら戸塚駅前を通り過ぎ、戸塚中継所に辿り着いた。

湘南の海が目の前のところまで来ていた。




男ふたり

休憩を終えると、3人は湘南の海を走った。雲一つない青空、冬だというのに日差しが暑かった。ジャケットを脱いで温度調節。まだまだ先は長いへばるわけには行かない。ここへ来ると、3人は一丸となって走っていた。茅ヶ崎駅でまーちゃんが離脱する。今のうちに喋っておこうと、みんな元気だ。

この道は、湘南国際マラソンのコースでもある。一直線でアップダウンもない。大会に出たことのある僕たちにとっては、今回の道程のなかで一番安心して走れる道だった。リベンジの空気感もなく、和気藹々と走ることができた。そして、茅ヶ崎駅の南側、距離にして60キロを超えていた。まーちゃんは、まだまだ元気で108キロを全部走れてしまいそうだったけれど、笑顔で一時戦列を離れた。

ここから、まーちゃんはお風呂に入った後、先に手配してあったレンタカーを借り、荷物を受け取る。そして、残り40キロ超、沿道のところどころに先回りして、僕たちをサポートしてくれることになっていた。しれっと書いてしまうけれど、まったくどえらい体力である。まあ、僕だったら風呂に入ったらもう寝ますけど…。否、ありがたかったっす。

男ふたりになった慶太さんと僕は湘南路をずいずい西へ。湘南国際マラソンというと、何となく華やかなイメージを受けるのだけれど、実際は海沿いの単調な道を、折れそうな心を抱えながら、イーブンペースを保つという作業に徹しなければいけない。ランドマークもないので、「○○まで頑張ろう」という気持ちも作りにくい。男ふたり無口に進む。迫りくる箱根の山を前に、心の準備をした3区だった。

平塚休憩所を越え、コンビニで休憩をする頃には、少しずつ太陽が沈んできていた。遠くに見える富士山も薄紫色に染められていた。予定より、随分と遅くなった。戸塚の大踏切は無事に越えてはいたものの、それまでの信号待ちに結構な時間を奪われていた。昼食休憩もほっこりしてしまい少し長めになった。時間制限を設けていない今回の企画の弱点だった。

のんびりし過ぎなのだった。

ウルトラマネージャに復帰したまーちゃんのお陰で効率よく小休止を済ませることができていたけれど、結局、4区が終わり小田原中継所に辿り着いたのは、夕方5時過ぎのことだった。大晦日の城下町の灯りがひとつひとつ消えていった。




山の神の悪戯

予定より2時間近く遅れていた。すっかり陽も落ちて、寒い。4区まで走り終えた安堵感はあったけれど、ここからの登りを考えると、気が重かった。山登りの5区はすでに80キロ近く走ってきた脚では厳しい。歩く時間が長くなるだろうと、最大限、体を冷やさないようにウェアを着込んだ。

箱根湯本から本格的な登りが始まると、冷ややかな光景が目に写った。残雪が道の両脇にあり、道もところどころ凍結している。箱根湯元を越えると道路脇に残雪が表れた。所々、足元が滑る。シューズを濡らすとキツイ。ランとウォークが半々になってくる。そして、歩きが増えれば増えるほど、ボヤキが増えてくる。Ustreamの向こう側には炬燵で蜜柑を食べながら紅白を見ているひとの姿が浮かぶ。ぼやくと応援のメッセージが届く。これを励みに進む。

しかし、いつしか電波が途切れる。もう、僕のボヤキも届かない。くらい箱根の山中をトボトボ歩く。気温は0度。不安に引きずり込まれそうになる。最高地点、ついにここまできた。後は主に下り、重力に身を任せて、あとは落ちていった。思いの外ここからが長かったけれど、ゴールは着実に近づいてくる。芦ノ湖に差し掛かる。真っ暗な水が眼前に見えない。慶太さんとも合流してただ必死にゴールを目指す。早く終わりたい。箱根駅伝ミュージアムのコーナーを越える。赤と白のゴール表示が見える。ついに終わった。放送で僕はこういった。

「もうやりません。次はUstreamを見ている誰かがぜひ挑戦してください」

リベンジ完了。

何だか泣けてきた。1年越しの勝手にウルトラマラソンが終わった。




メディアミックス

勝手にシリーズが完結して数日が経ち、平穏な毎日に戻っていた。休日、行きつけの店でコーヒー豆の焙煎が終わるのを待っていた。ふと顔なじみの店長がメモを差し出して来た。

「良かったらここに連絡してみて下さい」
「何ですか」
「ぷらさんのことをラジオで聞いたらしくて、記事にしたいそうです。ブログを見て、うちに通っていることを突き止めたみたいで、渡してくれって…」
「はあ。」

きょとんとしてしまった。ラジオ?新聞?何だか縁遠い世界からの招待状だった。そして、とりあえず、その記者さんとやらに電話してみることにした。そもそも、ラジオって何だ?ちんぷんかんぷんだ。電話の先にはノリのいいおっちゃんの声。「面白いことやってるなと思ってさ。ちょっと話聞かせてよ」近所のファミレスで会うことになった。まず何よりラジオの謎が知りたかった。デニーズだ。

「栃木放送で聞きつけてさ、○○っていう番組。」
「挑戦っていうテーマだったけど、先生が「友人が箱根駅伝のコースをひとりで全部走った」って言っててね」

ようやく合点が来た。先生というのは、僕が初めてマラソン大会に出た時に、会場までの道を教えてくれた人だ。初めての大会で不安な中、駐車場から会場までの道程を案内してくれて、各地の魅力的な大会を教えてくれた。大会が終わった後もネットを通じて交流を続け、僕のマラソンの励みとなってくれた人の一人だ。

何だか嬉しかった。僕にマラソンの魅力を教えてくれた人が、僕たちの話をしてくれたんだと。そして、何よりこの記者さんも興味を持ってくれている。よくよく話を聞いてい見ると、この人も自転車をやっているらしく、結構な距離を走っているらしい。ランニングの魔法を否定しても仕方ない。僕はどっぷりつかることにして、すぐに慶太さんとまーちゃんに電話した。慶太さんは面白がってくれて快諾。恥ずかしがり屋のまーちゃんは最初嫌がっていたけれど、匿名を条件に記事に登場させても良いことになった。(お蔭で数日後まーちゃんのあだ名は「友人女性」になる)藤沢でジムの仲間が撮ってくれた写真まで掲載された。ああ、最高の思い出になったな。こうして、勝手に箱根駅伝は有終の美を飾り終わった。

次の目標はと聞かれた。

「東京マラソンで思い切って仮装」

と答えた。

(何気ない一言だったけれど、これが、後で化学変化を引き起こしたのだった)




ルート