飛脚恋文

「あと一刻…」

薄暗くなった街道をひたすらに走っていた。最近では追い剥ぎも多く黄昏時に人通りは少ない。宿場へと急ぐ与兵衛の息は僅かに早くなり、懐に隠した文に胸が当たる。鼓動しているのは心の臓か、それとも、文の方なのか。肩に掛けた飛脚箱には、何よりも大事な守るべき荷が収めてあったが、今回ばかりは、その文が一等に大事なものであった。

「おイネさん、待っていてくれよ」

継飛脚から通し飛脚となって十五年は経つだろうか。宿場間を往来していた新人の頃とは違い、険しい道を必要とする秘密を運ぶ機会が増えた。いくつか偽りの名前を持つようになり、知り合う者よりも与兵衛を忘れていく者の方が多くなった。無口になり、人に心の内を伝えることなど無くなった。

出立の三日前、そんな与兵衛が訪ねたのは飛脚所の先にある善福寺の住職であった。一頻り江戸の様子を聞かれた後、ばつが悪そうに自分の気持ちを語った。九十里も離れた江戸で旅籠の娘 イネに惚れてしまったこと。イネに気持ちを伝える文を書きたいということ。あと二度江戸へ走ったら引退する..

ふと、スマホが鳴った。スマホ?江戸?雨が降ってる?住職は?

「あれ?夢?」

徐々に現が帰ってきた。けれど、いつもなら立ち消えてしまう夢が、与兵衛の思いがまだ鼓動していた。そうだ、今日は仕事が休みなんだ。どうせ梅雨空で走れもしない。もう一度寝て、夢に戻ろうと思った。けれど、くっきり頭が冴えてしまった。

「ああ、もう!」

ベッドから這い出して着替えた。いつも通りの休日をスタートさせようと、熱い濃いコーヒーを飲んで心地良い溜息をついた。それなのに、モヤモヤが消えなかった。与兵衛がどんな文を書いたのか(実際は住職が代筆したのだろうけど)、どんな道中だったのか、おイネさんは一体どんな人なのか、果たして与兵衛の気持ちはおイネさんに届いたのか?結局、釈然としない気持ちに取りつかれたまま、その日は終わってしまった。

「んん~、ああ」

翌日、ジム帰りに立ち寄ったマクドナルドで冷めたコーヒーを飲みながら観念した。昔に比べて、夢を見る頻度が減った。続きを見られる可能性は低い。だとしたら、与兵衛の思いに近づくには、その顛末を感じるには、やるしかない。九十里走ってやろうじゃないの。なんだよ、尾張から江戸か?いつやるの?

「ああ、そういういことか…」

こうして、止まっていたはずの時計が動き出した。

「大人になると、できることしかしなくなる。そんなのが嫌で…」

野辺山高原100kmウルトラマラソンに参加した際、初めて会った美ジョガーさんを前にそんなことを云っていた。鼻の下を伸ばしながら放った超カッコつけの一言が、今、重く自分にのしかかっていた。ルート計算のサイトでコースを測ってみると、どうやら、名古屋城から皇居までは389キロほどあるらしい。これを年末年始の休日だけでうまく消化できるものだろうか。2日続けてフルマラソンを走った経験はあったけれど、毎日のようにウルトラマラソンを繰り返したことはない。

「できないことをやる気持ちがなくなったら終わり」

あの日の僕はそう言っていたなあ。野辺山の美ジョガーも賛同してくれたなあ。やらないと格好悪いなあ。うーん仕方ない。

冬休みは8日間。名古屋への移動、ゴールしてからの帰宅、回復。いろいろな事情を考慮して5日間を走行にあてることにした。スタートの前日に深夜バスで名古屋入り、翌朝6時にスタートし、1日平均80キロを進み、ビジネスホテルに泊まりながらこの距離を消化していく。疲労も蓄積していくだろう。4日目、5日目の負担を少なくした。各ホテルに荷物を送っておければ良いが、費用がかさんでしまう。大きな荷物は奇数日の宿を宅急便で飛ばし、毎日必要なものはバックパックに入れて走ることにした。

ルートを確認すればするほど、予定を一つ決めれるごとに、

「こんなことできるのだろうか」

という気持ちが強くなった。けれど、それと比例して、与兵衛の思いを知りたいという好奇心が育っていった。周囲の人はちょっと可笑しい人だと思って見ていたに違いない。何しろ、自分でもそう思っていたのだから。

しかし、一度、引き始めた線はゴールまで繋がっていく。日が経つにつれ準備は整っていった。

スマホでこのサイトを見ていますか?

だとしたら、今からできますよ生中継。

技術の進歩って凄い。アイデアさえあれば、一人テレビ局が手のひらサイズの携帯電話で開設できる時代が来るなんて誰が考えただろう。

宇都宮タワーからスカイツリーを目指した勝手にウルトラマラソン、胸に固定したはずのスマートフォンは、100キロにわたって、体の動きに合わせ上下にバウンドを繰り返した。視聴していただいた方は船酔い状態。大晦日に申し訳ないことをしたなあ。

翌年、勝手に箱根駅伝では、ブレを抑えるために自転車用のヘルメットをかぶり、そこにスマートフォンを固定。ブレは軽減されたのだけれど、目線から20センチ上、見下ろす画像になってリアリティに欠けてしまった。そして、何より肩が凝る凝る。脚より首が痛いウルトラなんて…。

さてさて、今回はどうしようか?

名古屋から東京へと走ることを決めた後、見直しを繰り返せばルートを決めるのは然程難しくなかった。しかし、5日間に及ぶ中継の実現はなかなか難儀な問題。放送時間もウルトラ級。データ量も膨大になる。普通のスマホの契約では賄い切れない。そして、去年と同じシステムを使ったのでは、きっと首がもたない。もしかしたら折れるかもしれない。少しでも軽量化できるよう、そして、よりランナー目線で中継できるよう試行錯誤を繰り返した。

折しも、アクションカメラ人気が盛り上がっていた。Wi-Fi接続すれば、単体で生中継できるものもあった。容量無制限でWi-Fi接続できるモバイル端末もレンタルできる。100均グッズも多用し、眉間の前にカメラを固定。何ともはや、時代の波に乗って、新しい配信システムが完成した。

つくばマラソン、芳賀路ふれあいマラソンで撮影のテストをした。カメラは至って順調。あまりに夢中になり僕自身がこけて、「勝手に血みどろマラソン」を繰り広げ、あごを6針縫ったこと以外は問題なかった。ウェアや持ち物も本番と同じようにバックパックに詰め込み、42.195キロを2回走った結果、どうやら走れそうだということが確認できた。あとはもうやるだけ。

12月27日、仕事納め。仕事が終わるなり、夕食を摂って宇都宮駅へ。仲間の見送りを受け、僕は名古屋行の深夜バスに乗った。人生最大の大冒険を前に胸が高鳴っていた。予想通り眠れない夜を車中で明かした僕は、名古屋で1日ゆっくり休養を取って、体を休めた。夢も見ずに眠った。

与兵衛と僕の旅が始まろうとしていた。

「うえ~い!」

予期せぬことは起こるものである。12月29日、出発の朝、目を覚ますと雨粒がコツコツとホテルの窓を叩いていた。雨の予報がなかったわけではないが、きっと曇り程度だろうと鷹をくくっていた僕は、起き抜けに少しうろたえた。あわわわわ。用意してあったおにぎりをお茶で無理矢理流し込むと、風呂場でアメニティの封を切る。シャワーキャップと髪留めのゴムを拝借して、撮影用のカメラが濡れないように防水仕様にする。どたばたとあっという間にスタートの時間が迫ってきた。

午前6時前、名古屋城に着く。ここから5日間の旅が始まる。疲れていないうちに距離を稼ごうと、1日目は89キロを走ることにしていた。名古屋城から岡崎城、吉田城を経由して、浜名湖畔の鷲津駅がゴール。翌日以降の疲れをできるために睡眠時間はきちんと確保したい。夜6時のゴールを目標にした。

名古屋城正門前には、3人の人影。やっぱり…。慶太さんとまーちゃんがそこにいた。事前には来ると云っていなかったけれど、変態同士の絆で結ばれた勝手にウルトラメンバーだ。びっくりしない僕にふたりは不服そうだった。そして、もう一人、てぃぐれさんがいた。以前からネットで交流していた一宮市のランナーさん。この企画に賛同してくれて、名古屋支部を立ち上げ、独自のウルトラを今日走ろうというのだった。自宅からセントレアまでの道程の一部を僕のルートに合わせてくれて、これから100キロ走る。

朝6時、怪しい4人の旅団はしとしとと雨の降る名古屋城を出発した。Ustream配信も配信も開始、薄暗く静かな名古屋市内と誰も見ていないであろうネットに賑やかな笑い声を響かせながら、4人は走った。てぃぐれさんは熱田神宮まで一緒に走ってくれ、そこでお互いの健闘を祈って握手、道を別れた。そして、3人に戻った僕たちにラン仲間から1通のメールが届く。

「Ustream、見られないんだけど…」

おかしいと思ってすぐにカメラを確認する。ストリーム中のランプはきちんと点灯している。スマホを取り出してサイトにアクセスしてみる。「放送されていません」の文字が表示される。あわわわわ。歩きながら調整をしてみる。うんともすんとも云わない。いきなり壊れてしまったのか?仕方なく、一時走行中断。道路沿いのコメダ珈琲店に入ることにした。

「モーニングはなしで」

ブレンドを頼んで、機材を確認する。配信されていない。電源を入れなおしても配信できない。諦めてリセットスイッチを押し、昨年使った予備のカメラに切り替る準備をしていると、「ピピピッ」といきなり配信が始まった。何とも天邪鬼なカメラである。序盤から30分以上のタイムロスを余儀なくされた。

「せっかく一生懸命しゃべったのに~!!」

旅のルートの説明も、てぃぐれさんとの思い出も残っていなかった。コメダ珈琲店を後にした僕は、結局、一度話した内容を再度繰り返した。

「ああ、人生やり直しの連続…」

そして、無駄にしてしまった時間を取り戻すかのように、黙々と走った。徳川家康公の生家である岡崎城、藤川宿、吉田城と歩を進め、岡崎市でふたりと別れた僕は、その後、休憩を繰り返しながら浜名湖畔へとひた走った。ゆっくりしたかった休憩時間もソソクサ。結局、ゴールの鷲津駅に着いたのは夜7時を回ったころ。初日の遅れとしては許容範囲内だった。

が、しかし、ここからがまたどたばただったのである。マネージャがいるわけでもない僕は、ここから明日の準備を開始した。今着ていたウェアを洗濯、夕食、明日の朝食の準備、そして、機材のチェックと充電。

どのホテルもコインランドリーの付いたところを選んでいたけれど、わお!使用中!空くまでに30分待たされた。

「何これ?忙しい…」

勝手にウルトラの夜はなかなか終わらない…。これをあと4日も続けるのかと思うと、僕はすこしうんざりした。

勘違いされがちだけれど、僕は美容と健康にはそんなに興味がない。

けれど、日々を快適に過ごし、気持ちよく走れる身体でありたいと思う気持ちは強い。ジョギングを始めたころと比べると、体重は10キロ以上落ちた。カラダが軽く、何をするのも億劫だったあの頃とは違う。一度、この軽快感を知ってしまうと、逆戻りしたくないなと思う。ランニングを始めて程なくしてカロリーを気にするようになった。

そして、今年は食べるものも選ぶようになった。

もともと僕は身体が強くはなく、花粉症やアトピー、軽いぜん息も持っていた。フルマラソンの最中、ぜん息で意識が遠退いてしまったこともある。ウルトラマラソンの長距離を走った後も、しばらくのどはなが荒れてわずらわしい日々が続く。どうにかもう少し気持ちよく走れないだろうか?ランニングへの好奇心から、自分に合わない食べ物を除外し始めた。すると、「調味料(アミノ酸等)」と書かれた食品と人工甘味料を摂るのをすっぱり止めたところで、持病の殆どが軽快してしまった。薬を飲んで打ち消さなければ行けない何かの正体が分かった。

「カラダに入れるものって大事だな」と思う。

2日目、浜名湖畔で迎えた朝はさわやかだった。昨日のような雨もない。しっかりケアをしたせいか、カラダも充分動きそうだ。浜松、掛川を経由してのおよそ89キロ、今日こそは定刻通りにゴールしてのんびりしよう。朝6時、夜明け前を浜名湖へと走りだす。

最初から食べることばかり考えていた。今朝は朝食を食べずに来た。というのも、昨夜コンビニで買ったおにぎりが、ガチガチバサバサになっていて喉を通らなかったのだ。温めれば少しは違ったのだろうけれど、部屋には電子レンジがなかったので、泣く泣く諦めた。

「どこかで静岡のうまいものでも食べよう」

そう考えて浜松市を目指した。

浜松駅では良い店を見つけられず、コーヒーで身体を温めるだけになった。まだまだ序盤、少し距離を稼いでから食事休憩をしよう。一休みを終えて、再び東海道を東へ。左右をキョロキョロと店を探しながらのラン。徐々にお腹が減ってくる。だんだん、選り好みしている場合ではなくなってきた。けれど、コンビニすら見当たらない。もう力が入らない。名古屋で食べた特上うな丼を思い浮かべて、辛うじて正気を保つ。

「やってしまった…」

今回も補給に失敗。朝の栄養が足りなかったせいで、この日は一日力なく走ることになった。

ようやくたどり着いたうどん屋ではぐったり。消化する分の時間も必要だった。長いこと休憩した後、走り出す。茶畑が広がる掛川、坂道が多い。おにぎりやあんまん、大判焼きなどでこまめに補給を繰り返した。しかし、思った以上の山道、金谷峠は道も狭く、歩道もない箇所が多い。頂上から橋が見える。

もう一度、ゆっくり食事をしたい。でも、夕闇も迫っている。ジレンマと闘いながら街を目指した。空腹に気持ちも弱くなる。暗闇の大井川橋はただただ怖かった。眼下に川は見えず、奈落そのもの。手すりにしがみ付きながら、ようやく渡り切った。

結局、ゴールの焼津駅に辿り着いたのは夜8時半過ぎ。疲れた。年末の駅前はとても静かだった。チェックインしたホテルで食事ができそうなところを確認する。が、2日間180キロを走った体で行けそうな所に、営業している店はなかった。

「死ぬ…」

何たることか、その夜は、部屋でひとりカップ焼きそばだけ。

「ひもじい…」

カラダに入れるものって大事だ。

暖房のない踊り場に設置されたコインランドリーで洗濯を終えた僕は、明日の朝食シーンに早送りで進むべく、急ぎベッドにもぐり込んだ。

パーセント理論という考え方がある。

というのは嘘で、僕が勝手にそう呼んでいるだけの考え方がある。当たり前のことだけれど、10キロのロードレースでは5キロ地点が、100キロのウルトラでは50キロ地点が、半分である。そして、何となくだけれど、どちらの場合でも辛さは同じだと思う。

「あと半分、残り半分で終わる」

心の中で必ずそうつぶやく。

3日目の今日は半分越え。焼津から三島へと静岡県をひたすら行く87キロ。大晦日だというのに、今年もウェアに身を包んで、見知らぬ街にいる。海が近いせいか朝7時の焼津駅前は風が冷たい。体の様子を見ながら、ゆっくりと走り始める。

「どうにか、行けそうだ…」

序盤戦は登り、程なくして宇津ノ谷峠に辿り着いた。歩行者が通行できる明治のトンネルは、足を踏み入れると時を忘れさせる。明治時代を模して造られたランプのオレンジ色は、おとぎ話の世界へと通行人を連れて行ってしまいそうだ。まるで世界と世界との間に出来た割れ目のようで、このまま進むと、間違ってどこか別の世界へと抜け出てしまうのではと感じる。

抜け出た先には緑の木々が生い茂り、古い家屋が立ち並んでいた。どうやら、与兵衛の時代に来てしまったようだ。

と思ったら、交通標識と電柱。

「ふう」

無事にトンネルを抜け出ていたようだ。緩やかに下り、平坦な道へ。静岡市内へと急ぐ。

静岡駅では、昨年箱根1区で道案内をしてくれたこえびさん、そして、twitterを見てわざわざ名古屋から応援ランに来てくれたBanbaさんと落ち合う。初めましてのご挨拶にあずきサンド。ありがたい。駿府城跡を経由し清水駅を目指す。およそ10キロのトリオラン。疲労ピークの3日目に仲間と走れると、気がまぎれる。本当に助かった。

清水から、興津へ。由比へと抜ける太平洋岸自転車道では、自転車で日本一周をしている青年と出会う。今日、埼玉に帰り着く予定だったが、間に合いそうもないそうだ。

「まあ、ゴールまで走り続けます!」
「僕はのろのろ行きます。お互いゴールまで無事に行きましょう」

随分と勇気をもらった。そして、ふといつの間にか半分を超えていることに気が付く。

「あと半分」

眼前に富士山が大きくなった。今日はまだ走り続けて、日本一の彼に背を向けなければならない。身体はそろそろ限界が近い。

「どうにか今日を乗り切れば…」

ズタボロの自分に言い聞かせて、進む。まだまだ会いたい人がいる。明日、箱根で待ち合わせをしている見知らぬランナーさん、そして、最終日に栃木から駆け付けてくれる地元のラン友。ゴールにおイネさんがいるのかも、この目で確かめなければ行けない。

富士市に着くころには日も落ち、完全にへこたれていた。まだ今日の行程の3分の1が残されている。明らかな遅れだった。そんな状況を察してか、夕闇に慶太さんとまーちゃんが再び現れた。度々立ち止まる僕に文句も言わず、ふたりは最後まで並走してくれた。

夜10時43分、3人で三島駅に到着した。ふたりがいてくれて良かった。

「疲れたなあ…」

ホテルの部屋で放心しながら、そう呟いていた。そう呟いた自分に「もう大丈夫だ」と感じた。ゴールできないかもしれないという不安は消えていた。やはりパーセントの不思議だった。

気が付くと日付が変わっていた。明けましておめでとう。折り返しの3日目が終わった。

美ジョガーなんて、なかなかいるものではない。

「全ての女性」から「ジョギングやマラソンをする女性」に絞った段階で絶対不利なのに、その中から美女を探そうだなんて果てしない遠回りだ。大会に行けば、華やかなウェアに身を包んだスラリとした美女を見かけドキッとすることもあるけれど、むしろオリオン通りのドトールでコーヒーを飲みながら往来を眺めていた方が何倍もその機会は多い。

世の中、そんなに甘くないのである。

瀕死の状態で迎えた元旦、4日目の朝はスタート時間を2時間遅らせることにした。9時にすっきりと晴れた三島駅前をスタート、箱根を越え、ゴールの平塚駅前には夜8時着の目標。65.1キロの旅である。

新年の朝からカレーとサンドイッチをたんまり掻き込んで出発した僕は、初詣で賑わう三嶋大社を横目に箱根路へと急いだ。足早になるには訳があった。twitterで企画を知って応援してくれたラブさんという女性が応援ランに駆け付けてくれるというのだ。

アイコンの後ろ姿、日々のツイートから素敵な女性なのだろうと思っていた。もしや、この人が僕のおイネさんなんじゃなかろうか…。箱根へのアプローチは三島側からでもキツく、殆ど歩きになった。限界を超えた4日目の足取りは重かった。けれど、待ちあわせの箱根駅伝ミュージアムに向けて、踊る心は力走した。

「ぷらさんですか?」

嗚呼、辿り着いた先に、箱根には見目麗しき姫が待っていた。白い肌、整った顔立ち、透き通った眼。非の打ち所のない女性だった。しかも、ラブさんはウルトラマラソンもこなす健脚の持ち主。この人と…。もうここで走るのをやめてしまおうか…。

「あなたが僕のおイネさんです」

そう言いかけた。

でも、

世の中、そんなに甘くないのである。

「写真撮ろうか?」

子犬を抱いた柔らかな笑みの男性が近づいて来た。

箱根姫には既に素敵な殿がおった…。優しげな表情、滲み出る包容力、ああ、その胸に飛び込んでしまいたい…。否、束の間の失恋に正気を無くしてしまった。

まったく、うつつを抜かしがちである。

箱根駅伝往路のゴールゲート前で記念撮影をした後、もう一度走りだす。箱根山中をしばらく並走してくれたラブさんと、4月の富士五湖での再会を誓い、また一人旅。踊っていた心はもうない。ただただ重い体を、限界を超えた2本の脚らしきものを動かして進む。山を吹き下ろす風の冷たさと、ラブさんが差し入れてくれたスニッカーズの甘さが心身染みる。

「ん?」

幻覚か。箱根湯元に差し掛かろうかというところで、空から白い綿のようなものが降りて来た。

「へっ?」

雪だ。4日で300キロ走った男の頭に、冷たく無慈悲な雪が積もり始めた。

「ひーっ!」

ぶつくさ文句を云いながら走る。小田原市内に入っても雪は止まなかった。それでも城に立ち寄ろうと難攻不落と云われた小田原城の天守を拝むためには、石段を登り深く城内へと進まなければいけない。そして、ついに姿を見せた小田原城、白雪の中、静かにそこに立っていた。

「ああ、美しい」

恋をして、失って、虐げられて、慰められて。

夜8時半を過ぎたころ、平塚駅に到着した。
4日目は色こい思い出を残して終わった。

(その後、思い出から逃れられずスニッカーズ中毒に陥ったのはここだけの話である。スニッカーズは結構甘いのである。)

人生には、時々、突然メンターが現れる。

遡ること10か月、2月23日の朝、東京マラソンでその人と出会った。寒い寒い曇り空の都庁、手荷物預かり所で、僕はギョウザマンのスーツに身を包み、その人はボランティアジャンパー。仮装した友人と大勢のボランティアさん、みんなで記念撮影をした。袖振り合うも他生の縁だろうか。後日、ネットのどこかにその人を見つけた。真摯な態度で走ることと向き合い、魂の燃やし方に長けたアスリート。母としての温かなまなざしと、職業人としての気概、瑞々しいそのライフスタイルに強い影響を受けた。

もしかすると、唯一彼女だけは、初めからこの旅の意味を知っていたのだと思う。

5日目の朝は穏やかだった。ホテルでゆっくり朝食を摂って、スタート地点へと向かう。最終日の今日は距離も一番短い。およそ65キロ、去年リベンジを果たしたその道を逆走する。駅に着くと2人のランナー、やっぱりいた慶太さん。そして、僕をウルトラの世界に引き込んだ張本人のガッキーさんが駆け付けてくれた。午前8時、和やかに平塚駅前を出発した。

優しい海風を浴びて湘南そのものだったけれど、気分はまるで地元栃木を走っているようだった。ここまで走ってきた道程を思うと、もうゴールはすぐそこに感じられた。ただ足を運ぶだけだ。力が抜けたのか、かえって気持ちよく走れた。途中、藤沢では元祖箱根駅伝のランナーたちとスライド。戸塚では、大踏切の上にかけられたデッキを渡る。横浜、さらに3人の仲間と落ち合い、昼食。そして、ついに東京へ。ああ、帰ってきた。

走友たちの予想に反して、僕の脚は先を急いだ。それでも予定の時間には遅れていた。

「誰か待っている人がいるかもしれない」

バックパックには出発前にしたためた恋文が入っていた。与兵衛の気持ちを受け取るおイネさん、その生まれ変わりがもし皇居で待っているのなら、文を渡し、その人と歩みだすのも運命なのではないかと思っていた。夕暮れの東京に、呼吸を弾ませた。

でも、東京タワーに差し掛かったころ、僕は気付いた。5日間信じ望んできた偶然がそこにはないだろうということを。そして、僕にとっての今回の旅の原動力が何であったのかを。

「あの人が走らせてくれたんだな…」

彼女は最初から、この冗談じみたこの企画を笑いもせず、応援してくれていた。そして、旅の過程で僕が得る「気づき」を知っていた。

僕は、その人をオイネさんと重ねていた。ただ、それは、見当はずれな物語。

2015年1月2日夜7時、僕らは皇居にたどり着く。

砂利をザクザク鳴らしながら桜田門へと向かう。

誰もいない桜田門へ。

そう、そこに、おイネさんはいなかった。

一しきり、名残惜しそうに桜田門を行ったり来たり。

やはり誰もいない。誰も来ない。

「きっと遅すぎたんだね」

「いや、早過ぎたのかもしれねえ。いずれにしても時と国が違ったってことさ。でも俺は満足だ」

与兵衛のその言葉には不思議な潔さが感じられた。

諦めて、僕は生垣の前に腰掛ける。

バックパックから、与兵衛がおイネさんに宛てて綴った恋文取り出す。

震える声で読み上げる。

 「おイネさんへ

  おめえさんに笑って欲しくって

  此処まで走って来やした。

  どうか笑ってやってくだせえ。

               与兵衛」

その声は、桜田門の上空高くへと昇り、解けていった。

と同時に、5日間並んで走った与兵衛の魂が宙へと駆け上がっていく。

与兵衛は、空高くから米粒よりも小さくなった僕の姿を見下ろしていた。

「おめえさん、こんなにちっぽけだったんだな…。でも、ありがとな…」

「そうだよ、ちっぽけだ。でも、またどこかで一緒に走ろう」

ふと与兵衛は姿を消し、僕の旅も終わったのだった。

ちっぽけな僕は、まだ治まらない動悸を感じた。生きているんだなあ。いつか死んでしまうんだな。そう思うと涙が止まらなくなってしまった。

「よし帰ろう…」

バツが悪そうに立ち上がり、仲間に目をやると、僕は東京駅へと歩き始めた。

ビル風に煽られたのぼりが、僕の背中でいつまでもバタバタと旗めいていた。

(終)

ルート