結いの足音

「しかし、あの、ひとり…、ですね?」

肩からマランツのレコーダーをぶら下げた福嶋アナが、マイクを僕に向ける。

「いや~、なんか、予想だにしない感じですけど…、ひとりです。」 

少しおどけて答えたけれど、怖くて彼女の目は見られない。

2015年12月30日夜6時、東京丸の内は街路樹のイルミネーションがキラキラと輝いていた。年末を楽しむ恋人やファミリーの行き交う中、背中には「日光社参」の文字が揺れるノボリ、頭には撮影のためのアクションカメラ、そんな場違いな姿で僕はまたここにやってきた。そして、何故か地元ラジオ局からの取材を受けている。

「宇都宮駅では温かいお見送りがありましたが、ここは比較的風の強い、冷たい空気が流れています・・・、今、ゴールに向けてどんな気持ちですか?」

新幹線まで使って、宇都宮から取材に来てもらったというのに、スタート地点の行幸通りには応援者の姿はなかった。特に期待していたわけではないのだけれど、彼女に空振りをさせてしまったのは、とてもバツが悪い。冬のビル風よりも、向けられた視線に寒気を感じた。

「何でこんな木枯らしの中、一人走り出さなければいけないのかとちょっと後悔していますが、頑張っていきたいと思います。自分で始めたことなので、自分できちっと終わらせようと思います。」

「途中、気を付けることとか、ポイントになると考えていることはありますか」

「はい。良く転ぶので、まずは道をよく見てつまずかないこと。そして、100キロ地点までをうまく走れれば、宇都宮から日光に向けては、歩いてでも這ってでもゴールできると思うので、ゆっくり地道に行きたいと思います。」

そう、今年の勝手にウルトラマラソンは、皇居から世界遺産日光の社寺への150キロを走る。全てが終わったように思えた名古屋-東京の旅から1年、いろいろな偶然が去年のゴールをスタートに変え、一昼夜寝ずに走るという新しい物語が広がっていた。

「今回のコースの中で一番キツイところはどこですか?」

「宇都宮を過ぎてから日光にいたるまでは何百メートルと上るので、そのあたりがきついと思います。そして、夜、眠くなってきたときにどうやって目を覚ませばいいのかがいまだに良く分かりません」

「これまで勝手にウルトラマラソンを経験されているぷらさんも、まだつかめない所があると?」

「はい、いつでも未知の領域に踏み込んでいきたいというチャレンジ精神を持ってやっていますので。今回も色々な偶然や事件が起こると面白いし、楽しいんじゃないかと思っています。」

「家康公の御膝元まで怪我なく事故なくゴールできますようにお祈りをしております。最後にひとことお願いします」

「背中に背負ったバックパックに日光東照宮、そして、日光二荒山神社のお守りもつけておりますので、家康公が築き上げた泰平の世が続く様に祈りながら、百五十キロを走りたいと思います。がんばってきます」

本当は別の願いがあったのだけれど、照れ臭くて少しだけ遠回しに答えた。こうして終わらない旅が始まった。

「いってらっしゃい」

北上開始、ゆっくりと年末の東京を走りだした。

 遡ること4時間前、宇都宮駅の改札口、電車に乗るには到底似つかわしくない格好で僕はそこにいた。行き交う人の目も気にせず、義父は手作りの横断幕を広げ、激励をしてくれた。義母は、地元ラジオ局の取材に「あら、いやだ」と気恥ずかしそうに逃げるそぶりをしながらも、きちんとマイクに声が届く声量で質問に答えている。そんな光景を妻はにこやかに眺め、僕はそんな妻を眺め微笑んでいた。

  1年前、名古屋から東京へと走り終えた時には、新しい家族に見送られ、また勝手にウルトラマラソンのスタートラインに立つことになろうとは予想もしなかった。名古屋-東京の旅を終えた2週間後、僕は彼女に出会った。そして、その10日後、はじめてのデートの後、僕は結婚を申し込んでいた。ちっぽけなるワタクシという事象は、自然とそんな気持ちになっていた。ああ、人はこうやって結婚するのかと、妙に納得が行った。疑う余地のない愛着を彼女に感じていた。だから、何かを戸惑う必要なんてなかった。半年という交際期間など気にもせず、いくつかの通過儀礼を越えて、僕たちはクソ暑い8月に入籍した。

 引越をして二人暮らしが始まってからは、お互いの生活様式を中和することに多くの時間を費やした。数えきれない喧嘩と僅かばかりの仲直りを繰り返しながら、お互いの趣味の時間も、休日を楽しむ余裕もないままにあっという間に時が過ぎて行った。暑い暑い夏が終わり、ようやく生活らしさが出て来たのは彼岸過ぎだった。

「今年は走らないの?」

 ある日、妻は僕の目を覗き込んで、そう尋ねた。当然、走るつもりなんてなかった。ふたりの生活もまだ軌道には乗っていない。結婚式はしないつもりだったけれど、写真を撮って、家族揃って食事会をしたい。その計画を立てる方が先だった。だから、質問には特に答えも出さないまま。休日は、写真スタジオや食事会場を周って、プランや予算とにらめっこ。納得のいくイベントにするために相談を重ねた。しかし、なかなか満足な形が見出だせなかった。よくよく検討してみると、写真を撮って食事会をするのと、小さな結婚式をあげるのがコスト的に変わらない。行き詰まり、時が経つに連れて、ふたりの思いも変わっていった。

「インスタントに儀式をしても、誰も喜べないのかもしれない。長い時間を経ても消えない思い出にしたい。」

 気が付けば世界遺産日光の社寺のひとつ日光二荒山神社での挙式を選んでいた。これなら思い出の場所が消えてなくなることもないだろう。折に触れて、ふたりで訪れることもできる。相談すると、どちらの両親もほっとした様子だった。やはり、式を挙げて欲しいという気持ちだったのだろう。気持ちが決まると早かった。すぐに挙式の予約をした。

「ちょうどいいじゃないの!」

 日光の社寺での結婚式を決めると、頭の隅に追いやられていた僕のマラソン魂が、良からぬことを企み始めた。なんと目聡いことか、地元紙に日光東照宮400年式年大祭を記念したイベント「日光社参ウォーク」の記事を見つけた。江戸時代、徳川歴代の将軍が参詣した150キロの道程を7日間で歩くというイベント。

「ふふ、そんなの勝手にウルトラの手にかかれば…」

 夜通し聖地日光への道を一気に走り切ってしまおう。トータルの距離では去年には及ばないが、未知の領域である「寝ずのラン」。見たことのない自分にまた会えるような気がして心が高鳴った。

 ただのこじつけだと云われるかもしれないけれど、ふたりの結婚生活が順調に続いていくよう、願掛けの儀式にしたいという思いもあった。こんな「勝手」に巻き込まれる妻からしたら、いい迷惑なのかもしれない。でも、僕は、ありのままを包み隠さずにさらし、どうしようもなくちっぽけで猥雑な自分自身を知ってもらいたかった。

 正直にその事を告げると、妻は快諾してくれた。僕は計画を練り始めた。社参ウォークを主催していた地元紙に問い合わせると、快くルートを教えてくれた。そして、さらには事前告知の記事まで掲載してれた(この記事が元になってラジオの取材も受けることになった)。

 考えてみれば、昨年の名古屋-東京の旅は家康公の生家である岡崎城や、お膝元である愛知・静岡から江戸城への旅。その翌年に徳川家康公の墓所である東照宮へと参詣するのも必然に感じた。

もうやらないと思っていたけれど、全ての糸は僕の方に伸びてきて、固く結ばれた。こうして、性懲りもなく「勝手に日光社参」が始まった。

「いやねえ、でも自信なんてないんですよ。何しろ体力ないんです」

 皇居を背に走り出した僕は、Ustream中継を始めるとすぐにそうぼやいた。先ほどラジオの取材に対してカッコいいことを云ったけれど、実は不安もあった。何より今回の最大の心配事は体力だった。結婚してから、僕は走行距離を減らした。共働きで稼ぎは変わらない。夫婦の家事負担をイーブンにしたいと思っていたので、独り身だった時とは時間の使い方を変えた。料理・洗濯・掃除、生活に必要なことに時間をかけたかった。そして、そこに幸せを感じていた。これまでは月に300キロ走ることを目標にしていたけれど、100キロでもいいと思っていた。ただそれは、年末のこのバカげた挑戦を抜きにしてのことだ。100キロを超える距離をゴールへの見通しもって走るためには、それなりの根拠になる練習が必要だった。

 しかも、今回の行程、序盤は真夜中の日光御成道街道。これまで宇都宮-東京間を走った時とは違い、国道4号線を行くわけではない。王子、赤羽、川口、岩槻と知らない道を進んでいく。昼間を走るのとは違って、注意力も必要だ。

「もしかして、去年のチャレンジよりも今年の方がキツイかもしれない」

 そう思っていた。でも、ふたを開けてみると、どこからともなく救いの神が降臨しつづけた。

 スタートから2時間、およそ14キロの赤羽で最初の守護霊が舞い降りた。埼玉在住の走友で、毎年Ustreamの向こうで応援をしてくれていたかずまいさんが駆け付けてくれた。これまでは東京以西での開催が続いていたので伴走することができなかったのだけれど、待ってましたとばかりに、今回、川口までの道案内を買って出てくれたのだ。ふたりで走り出すと安心感からかリラックスして走れた。街灯も減って視界も悪いところが増えて来たけれど、目が4つに増えたことで少しだけ集中を解いて、気が付けば談笑しながら距離を消化していた。東川口駅までの13キロはあっという間だったけれど、その後もしばらくはリラックスしたまま走ることができた。食事休憩を取ることにしていた38キロ地点岩槻駅まで難なく辿り着けたのはかずまいさんの応援があったればこそだ。

 日高屋でチャーハン・餃子セットをそそくさと食べた僕は、ランを再開すると夜明けまでの一人旅を思うと、また不安な気持ちになった。岩槻から白岡に至る道は思った以上に暗く、ヘッドライトの光も十分とは言えない。夜が更けるにつれて、ネットの向こうからの応援も減ってくる。真夜中のどん底に進んでいくにつれて、不安な気持ちは膨らんでいった。普段なら元気をもらうはずのジョガーとのスライドも怖く感じたりする。さいたま市鹿室に差し掛かったころ、遠くから上下するぼんやりした白い光が迫ってきた。

「ひい~っ」

 気弱になっていた僕は、見て見ぬふりをしながら通り過ぎようと思っていた。

「ぷらさ~ん」

 こんな所で名前を呼ばれたら「ぎゃー」っと逃げ出したい気持ちだったけれど、ふと我に返る。どこかで聞いたことのある声だった。真夜中のサプライズ訪問は、なんと同じランニングチームのかずさんだった(先程のかずまいさんとは別人です)。「来ちゃったよ」なんていとも簡単にいうこの人は、「まあ、コースを逆走していれば会えるだろうし、まあ、会えなかったらそれも面白い」などと宣って、潔く笑っている。そして、何に驚くって、この人。突然来て、朝まで付き合ってくれるという。

 かずさんと僕は、夜を喋り倒しながら、走ったり歩いたり。

「まあ、終わっちゃったら絶対寂しいんですよね」
「でもねえ、また次に何かに向かう気力につながるから。終わりはないんだよ」
「終わるからこそ、新しい何かが始まるんですしね」
「別に引退するわけじゃないんだし」
「いや、別に引退してもいいですよ、はは」
「おれ、引退ランは何しようかな、何歳の時になにしようかな」
「70歳で日本一周」
「70って仕事も引退している年だから、やりたい放題だな、体力は別としても」
「凄い先のことをはなしてしまった。考えられないんだけど。
「いやあ、普通考えられないでしょう。まあ、やがてその時は来るんでしょうけどね」
「結局今を精一杯やることしか出来合いですからね。ふわぁ」

 橋の上で茨城への県境を跨いだ丑三つ時も、小山市で朝日を浴びた瞬間も、ずーっとずーっとかずさんは穏やかに笑っていて、結局50キロ以上を伴走してくれた。小金井駅前「ここが僕のゴール」 と云ったかずさんに、僕は何度も「ありがとう、本当にありがとう」と繰り返した。

「引き続き楽しんで…、引き続き気を付けて。ミヤカン外の119号が一番やばいから。慎重に乗り切って。眠気があると怖いから。本当に純粋に楽しかった。やっぱり、夜ラン好きだなと思って、あはは」

 彼はそう言って笑顔で去っていった。そして、僕はひとりになった。

 というのは嘘で、じつは4人になった。笑っちゃうくらい独りにならないのだけれど、この時、僕の隣にはわざわざ東京から小金井に駆け付けてくれたこえびさん、そして、小山に駆け付けてくれたパトラン栃木のはくちゃんとやぎっしーという、パワフルなランナー達がいた。何だかフットワークの軽さを極めた超足軽のみなさまに囲まれて、ワタクシという生き物は「体力のなさ」を感じる暇などなかった。

 結局のところ、こえびさんも20キロ以上を併走してくれて、午後1時の宇都宮市まで僕を導いてくれた。かずさん同様、こえびさんも気持ちのいい笑顔で去っていった。気が付けば午後1時、コース上にある自宅マンションで休憩を取っていた。

「俺も可笑しいけれど、みんなちょっとおかしいよ…。」

僕は、うれし泣きしながら、コンビニで買ったうどんをすすっていた。束の間、目をつぶって回復を図る。ランニングを続けていて良かったと痛感していた。

「何なのよ、コレ」

目をつぶっても涙は止まらなかった。

 はっきり言って、びっくりするくらい眠いです。一睡もせずに夜通し100キロも走ると。

 実を云うと宇都宮に入る少し手前、石橋のミニストップで限界を迎えました。その時、隣にはこえびさん。目を覚まそうとソフトクリームを買った僕は、店の隅の休憩スペースで、2分寝てはソフトクリームを一口食べ、また2分寝ては一口食べというのを繰り返していました。自分が泥になったような感覚、体の限界と脳の限界が同時にやってきて、腐って溶けてなくなってしまいそうな感覚は初めてでした。

 宇都宮の自宅で休憩をした後、僕は日光山へと少しずつ登り始めた道をふらふらと歩いていました。まっすぐに歩けずに、その場にしゃがみ込み、また立ち上がることができるようになると、ふらふらとゾンビのように進む。未知との遭遇2016。

「もうちょっとで眠気を抜けそうな気がしますけどね、眠い…。」

「あまりぼやく元気もないですね。ノボリ旗をみたお母さんに声を掛けられて、それで目が覚めました。今まだ野沢町なので、宇都宮インターすら超えていません。盛大に時間を無駄にしております。結構、やっぱり、1時半から2時にかけて食べた、上州煮ぼうとうと焼き鯖寿司の消化に血を持っていかれたのか、本当に眠かったんですけど、いま、少しだけ引きました。車だとすぐに来ちゃうんですけどね。よぼよぼの脚で走ると、なかなかしんどいですねえ。何とか一個一個踏ん張ってクリアしてくしかないかなと云う気がしています。」

「のろのろ運転ではありますけど、走っています。だいぶ、脚が両足ともパンパンになってしまいました。膝の上までプルプルする感じですね。眠気に関しては、来ちゃうと体全体が支配されてしまって、動けなくなってしまいます。でも、好き好んでやっていることなので、仕方ないですね。ゴールを目指せ。今市まで13キロですね。社寺の表示が出てくれると助かるんですけど…。」

 10キロを進む間に口にした言葉はこれだけ。全ての言葉は力無く、ため息交じり。夢と現の間にある谷に堕ちてしまったかのように一人の時間をただただ耐えて進みました。そして、少しずつ辺りは黄昏。終わらない旅を呪い始めていました。日光市に入って、残り20キロ。いつもなら「もうハーフマラソンの距離もない」と思えるはずなのに、遠退く感覚に何も感じず。

「…」

「…」

「…」

 はっ!あれ?慶太さんとまーちゃんがいる。勝手にウルトラマラソンを一緒に作り上げた仲間が夢に出て来た。いや、お迎えに来たのかな??そう、朦朧とした意識の中、懐かしい顔ぶれが浮かんできました。ん?いや、なんだここは日光か。あれ、さっきの続きか?え?あれ、でも慶太さんは伊豆に行くから、今回来れないって言っていたし、やっぱり幻?

 少し眠気の波が引いたところで、僕は認識しました。目の前に、盟友慶太さんとまーちゃんがいる。一番つらくなるであろうポイントに足を運んでくれたらしい。また、ばぁーっと涙が出てきます。寒い、眠い。疲れた。休憩。どうも今回のオアシスはミニストップ。終盤の取材に駆け付けてくれた福嶋アナにマイクを向けられる。

ぷ:「こちらは、創立メンバーの慶太さん、ふたりで企画して…。こちらは勝手に箱根駅伝の発案者まーちゃん」
福:「お二人の登場はサプライズだったんですか」
慶:「サプライズなんですかね。いや、多分分かっていたと思いますよ。」
ぷ:「思ってないよ、伊豆にいるって言ってたんだし。嘘つき!」
慶:「伊豆にいる。なんか、ディズニーランドみたいだね」
ぷ:「伊豆にいるランド」
福: 「それでは、休憩?何か食べますか?」
ぷ:「ソフトクリーム食べるんです」
福:「ソフトクリーム食べるんですか!?」
ぷ:「そうですよ、そのためにミニストップにしたんですから」
福:「途中数々のコンビニがある中・・・」
ぷ:「シカトっ!ミニストップでソフトクリームが食べたかったという。」

10分後…

福:「どうですか、ソフトクリームの効果は?」
ぷ:「いや~、冷えました。いやあ、反省しています、今。」
福:「比較的元気な様子だと思うんですけど」
ぷ:「カラ元気です」

慶太さん、まーちゃん。このふたりはいつも黙って大事なところに現れる。そして、温かな光で照らしてくれる。もう何だかさ幸せ過ぎて嬉しくって、寒さも忘れて前に進むことを思い出させてくれた。そして、気の利いたことに、残り8キロの所で、僕に手を振る。

「あとは一人で、奥さんが待ってるんでしょ」

もう、嫌になっちゃう。本当にありがとう。夢の国から這い出た僕は、最後の力を振り絞ってもう一度走り出した。

 かくして、これまでで一番出来の悪いランニング・ストーリーは終わりを迎える。勝手にウルトラマラソン名物の雪に化粧を施された夜の日光。電波は十分ではない。話せるうちに話しておこう。

 「もう少しで日光の社寺手前の神橋の前に差し掛かると思います。ああ、本当に登りがキツくてなかなか走れなかったんですけど、皆さんの応援を思い出して、何とかここまで来れました。実に27時間に及ぶ泥試合になってしまいましたが、もう少し行くと妻が待っていると思いますので、何とか辿り着きたいと思います。日光市内、本当に静かですね。初詣の方はまだ飲んだり、食べたり、お風呂入ったりしているんですかね。」

「もし切れちゃった場合の為に、皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。ありがとうございました。ああ、走れねえ。結構最後もキツくてですね、歩いていても息が切れるくらいです。そして、何と、今雪が降っています。勝手に箱根駅伝といい、名古屋東京といい、今回の日光社参といい、ぜんぶ雪です。寒い寒い冬をウルトラ行脚してようやくたどり着きました150キロ、なかなかハンパないですね。もう、疲労困憊です。やっぱりきちんとトレーニングしないと行けないなと思いますね。何としても、江戸城から東照宮へ背中につけたお守りを運びたかったですし、5月の二荒山神社での挙式に向けて願いを込めて完走したかったので、嬉しいです。今年も結局、紅白歌合戦と対決することになってしまいましたね。はあ、つらいね、つらいけど、やっぱり今年も泣きそうなくらいウルトラって楽しいね。言葉が出ないっす。」

「はあ、見てるかなあ。ごめんね、待たせて。精一杯やったけど、結構時間かかっちゃった。雪の中で迎えてくれて、本当にありがとう。もうすぐ神橋につくよ。最後くらい走るよ。」

「家康公も見守って頂いてありがとうございました。辛抱っていうことを少し学べた気がします。キツイ。はあ、あとちょっとだ。雪だよ。はあ脚が上がんない。雪がすごいんです、道が白い。こんな中待っていてくれるなんて、ごめんね。走れ、走れ、走れ。どっか入っててくれるかな。神橋の信号もう少しだよ。 あれいないのかな。はあ。上、上がったのかな。神橋が、雪の神橋が目の前にあります。あれ?どこ行った?メガネが…。すべりそうだな…。東照宮の前にいるのかな。ごめん、今、行くからね。階段キツイな。」

 ここまででUstreamの中継は切れた。動かない脚をどうにか持ち上げて、参道を上がっていく。大きな玉砂利をザクザク云わせながら、遠くに見える光に向けて歩く。見慣れた東照宮の文字。その前に妻と福嶋アナが立っている。最後の力を振り絞って走る。

「待たせて、ごめんね」

 妻の手に触れる。待っていてくれてありがとう。これから一緒に人生を歩んでくれてありがとう。12月31日午後9時5分。実に27時間に及ぶ長い旅が終わった。

 並走してくれた走友、ネットの向こうから声援を送ってくれた仲間、そして、新しい家族。尻切れトンボな中継になって、みんなへのありがとうが伝えられなかったけれど、たくさんの人に支えられて僕はゴールを迎えた。

 そして…、

 およそ半年が過ぎ、僕と妻はゴール地点の日光の社寺に帰ってきた。季節は流れて5月22日、さわやかな春風の中、家族に見守られて無事挙式を執り行うことができた。こうして勝手に日光社参は完全に幕を下ろし、夫婦の物語が始まった。

 後日、一連の出来事がラジオで放送された。そうそう、この為の取材だったのですよ。まさか自分のマラソンと結婚式がラジオになるとは思っていなかったけれど、とてもいい思い出になった。こんなちっぽけで不出来な僕の物語を番組にしていただいてありがとうございます。

 そういえば、放送直前、最後のインタビューで福嶋アナは聞いた。

「次のマラソンの予定はどうでしょう?」

「今度は家康の足跡を追って、名古屋から大阪ですかね」

あ、云っちゃった。聞かれると、答えちゃう。悪い癖だ。

こりゃ終わらないわ…。

ルート