西へ

 結婚したらランニングは3分の2くらいにしようと思っていた。日々の生活の中には家事もあるし、休日にはふたりで出かけたい。これまでは月間300キロを走ってきたので、200キロが新たな目標。それでも健康維持には十分すぎる距離である。

 日々の60分のジョギングを40分に、30キロ走を20キロに変えるだけ。増やすのと違って簡単にできると思った。近所を走ってみて、ちょうどよいコースも見つけた。しかし、結果は失敗だった。60分のジョギングしていた頃は、30分でウォームアップが終わり、残りの30分を火の付いた身体でトレーニングしていた。けれど、それが40分になると、ほとんどウォームアップで終わり。面白くない部分がメインで練習にならない。20キロ走にしても、物足りなさが残る。気が付けば、3分の2は愚か半分も走ることが出来ず、ランニングの習慣そのものが消え失せてしまいそうだった。

 ランナーだったつもりがジョガーに降格、さらには「運動不足の中年おじさん」な日々が続き、体重も増え、マラソン以前にあった様々な持病がほくそ笑みながら帰ってくる気配がした。あわわわわ、僕はうろたえた。

 夏が始まる頃、地元ラジオ局で「勝手に日光社参」を題材にした番組が放送された。ラジオから聴こえる自分の声は何だか別人のようで違和感を覚えたけれど、およそ半年に渡って取材をしてくれた福嶋アナの美しいナレーションと、編集の妙で、あの大苦戦の一日と結婚式の様子が少し笑えるハートウォーミングな物語になっていた。久々に聴いたラジオだったが、なかなか面白いものだなと思った。

 朝のワイド番組では、リスナーから寄せられた県内各地の空模様が紹介されていた。面白いのは、リスナーが情報を寄せる手段がSNSであり、写真なども含めて他のリスナーも見られるところだ。試しにジョギングをしながら公園の写真を添えて投稿してみたところ、イヤホンからそのメッセージが聴こえてきた。同時に、他のリスナーから「いいね」も押される。この不思議なコミュニケーションが楽しくて、いろいろな写真を送るようになった。自然と僕は毎朝走ることになり、期せずしてランニングの習慣を取り戻していった。

 ある日、SNSで他のリスナーからメッセージを受け取った。地元宇都宮にミヤラジという名の新しい放送局ができるということ、そこでスタッフを募集しているということ。「応募してみたら」という勧めだった。詳細を調べてみると、フルタイムでなくても、休日を利用して勤務できる。もともと放送に興味があったわけでもないし、ダブルワークなんて考えてもみなかったのだけれど、デンデケデケデケ、何故かいつも神様は元ヤンのお姉様「やっちまいな」という天の声が聞こえた。これもマラソンが繋げた縁、何が起こるかを確かめてみたかった。締切の前日、履歴書を送った。駄目でもともと、カッコつけずにマラソンキャラのまま、釈迦で掲載された女性セブンのコピーも添えて。

 面接はとても緊張した。マラソンの本命レースの比ではない。原稿を読み上げるテストがあったけれど、声より心臓の音の方が大きく聞こえた。手に汗を握るというより、汗が手を握っていた。当然、うまく行ったという自信もなく、その日は少し落ち込んで帰った。勢いだけで突っ込んじゃあいけないって、マラソンが教えてくれたのに。そのことをすっかり忘れていた。

 当然、数日後に送られてきたのは、採用の通知だった。ん?採用?目を疑った。何かの間違いが起こったようだ。

 「マラソンの神様、何だかとんでもない所に連れて来ましたね…」

 そして、訪れた研修の日々。休日ゼロデイズ。ミイラ取りはミイラに、ランニングの習慣を求めた僕は、気付いたらまた走れなくなっていた。

 ウィークデイは事務員、休日はラジオの研修。そんな生活が始まった。
 
 年内にはコミュニティFMミヤラジが開局、放送を開始する。それまでに発声や話し方、放送のルール、機材操作などを学び、一人でも放送業務すべてをこなせるよう準備を整えなければならない。小さな放送局なのでワンマン放送という時間もある。覚えなければ行けないことは山というほどある。これまでランニングに充てていた時間は、ほとんどがラジオのトレーニングに。走友ともしばしお別れ、年齢も性別も仕事も違う新しい仲間たちと一緒に学んだ。役者、司会業、記者、主婦など様々な経験を持つ面子の中で、何でもない不器用な僕は随分と不出来な研修生だったけれど、何しろ持久力と忍耐力はある。マラソンと同じようにブレイクスルーのポイントが訪れると信じて、仲間の背中を見ながらじりじりと前に進んだ。

 時々、リフレッシュの為にジョギングはしていたものの「今は走らなくてもいい」とも思っていた。名古屋-東京を走り終えた時に、僕の第一次マラソンブームは終わっていたから。先輩ランナーの姿を見て来たので、「焦らなくてもいい…」、何年か時間をおいてまた走り出す日を想像することもできた。実は、履歴書を出した段階で「マラソン引退」とすら思っていた。放送が始まってしまえば、年末年始だろうと担当日にはスタジオに缶詰、まとまった休みを取るのも難しい。「勝手にウルトラマラソン」も日光社参で終わりにするつもりだった。不思議なくらい悔いはなかった。

 しかし、まあ、ご想像の通り、毎度のことながら、僕に憑りついたマラソンの神様は奇跡的に往生際が悪かった(神様だから往生はしないのかもしれないけれど)。

 研修もそろそろ終わりというある日、社長から「開局日を年明けに変更する」ことが発表された。局にもいろいろな都合はあったのだろうけれど、僕はピンと来た。この偶然はマラ神様の仕業だと。だって、年末年始に予期せぬぽっかり休暇が現れるなんて、話が出来過ぎている。「うちのカミサマの所為で開局が遅れてすみません」と思いつつ、また聞こえて来た「やっちまいな」の声を合図に、ひとつの決定が僕の中で下された。

 実を云うと「勝手に大坂の陣」のコースは日光社参を終えた2週間後には出来上がっていた。たった2週間後にだ。

 でも、名前は全く違った。「日本一の腹ぺこグルメマラソン」という恥ずかしいネーミングの企画ランは、ある懸賞の為に考えたものだった。ニッポンハムが募集していたその懸賞は「100万円でできるあなたの夢の旅をプレゼント」というもので、アイデアが採用されると実際にその旅をニッポンハムの経費で実現してくれるというものだった。日光社参を終えたばかりの僕は、家康三部作の完結編として「大坂の陣をなぞるマラソンができたら良いな」と思っていた。そんな折に見つけたぴったりの懸賞。ただ走るだけでは100万円に程遠いので、その道すがら名店に立ち寄り、高級料理を食べながらゴールを目指すという企画を練り上げた。当選すれば、ゴールデンウィークにグルメランになる予定だった。しかし、結果は落選、お蔵入りとなっていた。

 このランが実現すれば、これまで3年間のコースが一本の線で結ばれたはずだった。生家岡崎城や、攻め落とし居城となった大阪城、墓所である日光東照宮全てを自らの脚で周り切ることになる。その為に、走っていない名古屋以西を走りたかった。スタートは名古屋、ゴールは大坂城。3日で225キロの道程。もともとその予定だったかのように、この企画が年末年始にぴたっとハマった。

 「やっちまおう…」

 そして、名古屋を出発地にするのであれば、あの男と走りたかった。名古屋-東京の時に応援ランに駆け付けてくれたばんばさんである。あの時は10キロ程のわずかな距離だったけれど、トレーニングを積み、今や自主ウルトラを企画・実走するまでに成長した猛者。ブログを通して日々の走りを見ていた僕は、この人と勝手にウルトラをやったら面白くなると、機会を伺っていたのだ。もし懸賞に当選していても、いくらかは一緒に走っていただろう。

 すぐにばんばさんにメッセージを送信した。突然の誘いにも関わらず、尾張の熱血漢は「やります」と即答してくれた。こうして、埋もれていた「勝手に大坂の陣」は再生、名古屋から琵琶湖、京都、奈良という歴史街道を巡り、大阪城を攻め落とす3日間225キロ、年末年始3日間の戦が決まったのだった。

 それぞれに準備を進めた。ルートの確認、宿の手配、装備の見直し、やることは沢山あったけれど、もう5年も続けてきたことだ。12月上旬にはすべての準備を終えることができた。トレーニングは不足していたけれど、不安はなかった。経験が、それを知っていた。あとはもう走るだけ、忘れられない年末年始にしよう。

 準備万端、12月30日早朝、2年ぶりの名古屋城正門に僕は向かった。

 「ああ、何かのイベントでもあるんだ…」

 2016年12月30日朝、名古屋城正門前に近づくと人だかりができているのが見えた。人が集まる真っ当なイベントもあるんだなと、自分の企画に苦笑した。こちらはばんばさんとの二人旅。きっと一人二人はランナーさんが駆け付けてくれるだろうけれど、いつも通りの静かなスタート。まだ、ばんばさんは到着していない。応援のランナーもいないようだ。盛り上がっている一団に水を差してもいけない。僕は気配を消しながら横断歩道を渡り、邪魔にならないように一団とは距離を置いて、名古屋城正門へと歩いて行こうとした。

 「ぷらさ~ん!」

 どこからか名前を呼ばれた。振り返ると、どうやら一団の中に声の主がいるようだ。そして、見たことのあるTシャツのランナーの姿がそこにあった。てぃぐれさんが、2年前と同じ格好で、同じ場所に立っていた。…ということは、真っ当なイベント集団と思しき人影は、すべて「勝手に大坂の陣」の為に集まった人たち?

 「ばんばさん、すげえな」

勝手に広報部長ばんばさんの男気に惚れた面々。年末の朝6時とは思えないあたたかさ。

 笑ってしまうほど賑やかなスタート、そして、和やかな5人旅。思ってもいない初日80キロの幕開けだった。序盤は、名古屋城から清州城、墨俣一夜城、大垣城と多くの城を巡る。小さなゴールが多いので、精神的にも楽なコースだった。孤独とも戦う必要がなかったし、地元ランナーのナビゲートが心強くて、軽快に飛ばすことができた。普通なら、徐々に離脱していく人が増えるものだけれど、今回はむしろ増員していく。勝手なご一行様は、ほぼ予定通りに中間地点の大垣城へと辿り着くことができた。

 大垣の商店街で、昼食を摂る。人通りの少ない年末の通りで営業している店は少なかったけれど、幸運にも味噌煮込みうどんの店が開いていた。身体も温まるし丁度いい。ただ、「丁度いい」と思っていたのはこちらばかりで、その店を切り盛りする二人の母と娘には、不意討ちだったようだ。「時間かかるけど大丈夫?」 と幾度となく聞かれた。恐らく年末にぽつりぽつりと訪れる客しか想定していなかったのだろう。しかし、ほかに店を探しても時間と体力を消耗するだけかもしれない。十分に休んで、回復することにした。

「軍勢」と呼びたいはじめましてな仲間たちと辿り着いた大垣城。

  「この人達に会いに来ているだけなのかもしれないなあ」

 町の食堂には不似合いなランニング姿の6人を見ながら、感じていた。人に出会う為に、ここまで来たんだなあと。ばんばさんも、今ここにいるランナーも、朝応援に駆け付けてくれたみんなも、とても気持ちのいい人ばかりだ。そして、とても潔い人ばかりなんだ。きっと、そんなランナーたちと心を通わせたくて、途方もない年末のジョギングを繰り返しているんだ。

 ウルトラマラソンに挑む人は、やはり、フルマラソンまでの人とは違う。半日近く、あるいは、それ以上の時間を走り続けるウルトラマラソンに挑み、クリアするには様々な能力がいる。長期戦をマネージメントする力、降りかかるトラブルに大らかに向き合える寛容さ。全てを使い切って、カラダのどこを探しても力が残っていなくても、笑顔でゴールできる持久力、というか、底力。僕が出会ったランナーは、そんな強さを持った魅力的な人ばかりだ。

 何でもお金で解決できたり、あちらこちらに便利が転がった世界だけれど、そんな中で、何千年前と同じように2本の脚を動かして、ただ前に進む。省かない人達。果てしない距離を走り抜くためには、無駄なものは捨てなければならない。自然とソフィスティケートされる。削ぎ落されるから、その人のパーソナリティが際立って見える。遠回りできないから嘘がつけない。正直者。あっけらかんとし過ぎていて、寂しく感じるときもあるけれど、とても楽だ。好きにならずにはいられない。

潔さのカタマリに触れていたくて、走り続けているような気がした。

ばんばさん、次回のノボリは「Hマンが出るぞ」にしましょう。

 昼食が終わり、後半戦が始まった、ここからは仲間たちに別れを告げ、ばんばさんとの二人旅。残りおよそ40キロ。大垣から関ケ原に至っては登りが続く。目に見える勾配にふたりの脚は重かった。空が陰り、気温も下がってきた。時計が進むのが速く感じる。映像はずっと配信されているというのに、ボヤきが増えてくる。そのうち、カミサマに縋りたい気持ちまで出て来た。沢山の元気をもらったはずなのに、なりたいウルトラランナー像からどんどんかけ離れて行く。

 しかし、本当に初日は幸運だった。きっと、岐阜県には心優しいカミサマが住んでらっしゃる。関ケ原の駅に天使を遣わしてくれたのだ。その名も、休日のタナカ。何でもこなせるキュートなタフネス。この企画にはもったいないエリート女子が現れた。というか、ばんばさんの人脈に本当に感謝したい。僕もばんばさんも、情けない姿を見せられないと、勝手に粘り始め、鼻の下を伸ばしながら、残りの距離は縮めていった。そして、あろうことか、そんな分かりやすい中年男性ふたりに、タナカちゃんは最後まで付き合ってくれた。結果、それ相応の時間はかかったけれど、難なく彦根城へと辿り着くことができた。

この後、ばんばさんは落としたスマホがブロークン。画面バキバキなのにポーカーフェイスでした。

 「僕は、人に助けられて走っているんだな」と城の周りを歩きながら思った。極めて他力本願、人に勧められるままにここまで来ただけだ。でも、今ここにいることがとても有難い。だから、繋いできた糸を断ち切らずに行こうと思う。感謝の気持ちを忘れずに。まだまだ、たくさんのウルトラマンに会いたい。そして、自分もそんなウルトラマンになりたい。明日はきっと孤独な1日だろうけれど、それでも頑張ろう。こうして、勝手に大坂の陣初日が終わった。

彦根城前でパシャリ。はて、休日のって、平日はどんなだ?

 大晦日、勝手に大坂の陣2日目。今日は彦根を出発、琵琶湖東岸の道を下って行く。昼過ぎには大津、そして、峠を越えて、京都へ。ゴール二条城までの距離は70キロ。初日に蓄積した疲労、ふたりっきりの孤独、比較的淡々としたコースを考慮して、短めに設定してある。早く着けば、大晦日の京都を楽しみたい。そんな目論見もある。

 朝、アラームに起こされる。明らかに眠り足りない。7割くらいは回復しただろうか。昨夜、洗濯したばかりのウェアに再び袖を通す。そそくさと食堂へ。皿を手に取り、ありったけの料理を皿に盛る。エネルギー切れを防ぐため、普段は食べない朝食をここぞとばかりに掻き込んだ。後から来たばんばさんもしっかりと食べている。一安心。ばんばさんは回復半ばというところだろうか。自主ウルトラ2日目のせわしなさを痛感していることだろう。疲労と上手く付き合っていくしかない。とにかく、旅は続く。

序盤戦、のどかな田園風景の中を行く。気温は1℃、冬のウルトラは寒い。

 昨日とは打って変わって、ふたりっきりの静かなスタート。城下町を抜けてしばらくすると、田園風景に囲まれる。想像していた通りの地味目の展開。琵琶湖のそばを走っていると言っても、湖岸からは数キロ離れているのでその姿を拝むことはできない。そして、目標となるランドマークもない。序盤から淡々と距離を消化していく。昨日は沢山の城に立ち寄ることができたが、今日はチェックポイントも地味目。20キロ地点の安土城址も模型展示。「ちょっと地味過ぎない?」と思ったが、コースを決めたのは自分なので、しれっとランを再開する。これはもうお昼くらいしか楽しみはないな。それまでは、ウルトラを骨の髄まで堪能しよう。半分諦めながら「走る」を繰り返した。

安土城址、信長の居城は雅な世界だった。といっても、実は模型内部。

 ランニングをしている時って何を考えているの?そう質問されることが多い。でも、案外、答えに困る。レース中は、タイムや残りの距離、ペース配分を考えているのだけれど、日頃のジョギングや、勝手にウルトラマラソンの時となると答えが出てこない。だって、特別なことなんて考えていないから。運転している時に何を考えているかと、あんまり変わらないんじゃないだろうか。必要な生活雑貨を思い出してみたり、歌の歌詞の意味を考えてみたり、やっつけなくちゃいけない仕事を整理してみたり、そんな具合だ。週末の予定を立てることも、過去を振り返ることだってある。

 思い出していた。

 子供の頃から「将来は何になりたいの?」という質問が嫌いだった。高2の春、学年主任に聞かれた時も、「ロボット…」と答えた。大真面目に答えたのだけれど、冷ややかな目線が返ってきた。何になりたいかなんて分からなくて、戸惑うことなく仕事ができればいいと思っていたから、そう答えただけなのに。どうして、同級生たちはあっさりと答えられるのだろう。何が幸せなのか、何を望んでいるのか、そんな事がずっと分からなかった。どうしたいのか、どうなりたいのか、何の希望も持ち合わせていなかった。結局のところ、社会に出てからも、答えは見つからなかった。いろいろ試しては「これが幸せ」と刷り込もうとしたけれど、全部うそだった。

昼休憩の食堂に現れたIさん。中継映像からこの店を割り出す能力にビビる!やはり和製ダニエルクレイグはいろいろと007。

 走り始めて随分経ったのに、思っていた以上に身体が重い。ふたりとも笑顔で走っているのだけれど、下半身は錆びたロボットみたいだった。日頃の練習不足を痛感する。ばんばさんも、やはり体調が優れないのか足取りは重い。無駄な動きが多いのか、疲れが溜まるのも早い。あれだけ朝食を食べたというのに、あっという間に腹がすく。結局、予定より早めに昼食を摂ることにした。転勤で会えなくなっていた走友が駆け付けてくれた。懐かしい顔に「しっかり走れよ」と背中を押された気がして、琵琶湖までの15キロをどうにか走ることができた。近江大橋を渡り、大津市へ。

ところどころに、勇気づけてくれる人がいた。幸運だったなあと思う。taeさnありがとう。

 大津から京都へは山を越える。夕闇が迫り、意気消沈しそうなふたりだった。でも、そこにまた応援が。へこたれて、救われて。こんな、出会いがまた力になる。ランニングの酸いも甘いもすべてが凝縮された一日だ。スクラップ間近のやる気がまた帰ってきた。暗く冷たい山道を懸命に進んだ。

寒い寒いトンネルを抜ける、遠くに、小さく、でも、明るく京都タワーが輝いていた。

 思い出していた。

 スクラップ間近のロボットは、長い時間をかけて全てを諦めた。姿を消してしまおう。通信機のスイッチを切って、ひっそりと屑鉄の山の中に埋もれて眠った。喜びがない代わりに、戸惑いもない。おやすみ。すこし未練は感じていたけれど、そのまま、機能を停止するはずだった。しかし、不意に、大きな磁力がボロボロのロボットを引っ張り上げた。

 それはマラソンの魔法だった。何にもならなくていい。ただ走ればいい。

祇園で異国の人ニッキーと英会話&ラン♪いつの日か、一緒にウルトラしようぜ!なんちゃって。

 そう、ただ走ればいいのだけれど、なかなか足は進まない。峠を越え京都へ入ったものの、疲労で固く縮こまった筋肉に、冬の冷気が追い打ちをかける。これは、買ってでもする苦労ではないな。山科の駅前で、ばんばさんが腰を下ろす。かなりのダメージを追っているようだ。脚を押さえ苦笑いする姿が、ちょっと痛々しい。そして、2日間でよーく分かったのだけれど、この男、チョー諦めが悪い!もう僕だったら、やめますけどね。脚を引きずってでも、ほふく前進してでも、ゴールに辿り着いてやろうという意志が伝わってきて、そりゃあもう、一緒にジリジリと進みましたよ。何だか楽しかったなあ。。

二条城、もう、寒い。ただそれだけ。

 祇園では旅行者のニッキーと話をして、NHKでは大きなどーもくんの前で紅白を見て、ようやくたどり着いた二条城は白く寒々しかった。2日目、どうにか終了。しんしんと冷え込む京都の夜に震えながら、夕食をとれる店を探した。とにかく早く温かいものを体に入れたくて、ホテル近くの大戸屋で定食とそば。明日はどうだろう。ホテルに帰って、そそくさと寝る準備。風呂に湯を張りたかったのに、水しか出ない。

 「こりゃ、明日もハプニングかも、サヨナラ2016」

 今年も記憶から消せない大晦日になったなと苦笑交じりに眠りに就いた。

 2017年1月1日、新年を京都で迎えた。そして、勝手に大坂の陣、最終決戦の日が始まる。京都から奈良、そして、生駒山を越えて大阪城へ。75キロの道程だ。3日間に渡った旅も今日で終わり。

  新年だというのに、駅前の牛丼屋で朝食を済ませた僕とばんばさんは、まず方広寺へ向かう。この寺には、大坂の陣のきっかけになった鐘がある。豊臣家が作った鐘に掘られた「国家安康」の文字、これが家康の名を分断させようという意図だろうと、そこから戦になるなんて。そんな理不尽な理由で、家に攻め入られても困る。がしかし、それが史実なのだから、始末に負えない。いつの世も理不尽なことってあるんだな。でも、走ることには理不尽さはない。冷え込む盆地に体温を奪われないように、体を動かして熱を作った。

ばんばさん、足痛いはずなのに。このサービス精神。

 伏見稲荷大社で初詣。早朝にも関わらず凄い数の人だ。手を合わせ、みんなの健康と今日のゴールを祈る。もう何だか、最近は健康ならそれだけでいい。「走る→食べる→眠る」というサイクルが、自然に保たれ繰り返されていれば、人生はそれだけでいいと思う。それもすべてマラソンが教えてくれたことだ。清々しい気持ちでお稲荷さんの本家を後にした。

千本鳥居の前で。上手く笑えてない(笑)

 「おおかみこどもの雨と雪」という映画が好きだ。

 狼男の人間の女の間に生まれた姉と弟の成長、夫を亡くし一人でふたりを育てる母の姿を描いたアニメーション。この物語、解釈や見方も人それぞれで、評価も真っ二つに分かれる作品。オオカミと人間のハーフである二人は成長するにつれて、その性格を人間性と野生の2方向に分かつ。姉は人間性、苦悩しながら歯を食いしばり野生を抑えて、社会に溶け込もうと努力する。弟は野生、人間社会に溶け込めず、オオカミに、また、自然の中に居場所を見出す。

 「どちらを選ぶのか?」

 そう問いかけられているような気がする。

 晴れた空を眺めながら、時代時代の都をつなぐ道を行く。奈良への道はひたすらに長く、気持ちを急がせるが、脚は思ったよりも動かない。

 朝から咳をし続けているばんばさんは尚更だった。本当のところはばんばさん自身にしかわからないけれど、僕からみたら、見るからに病人だった。走れる状態ではなかったと思う。それでも、それでも、この人は懸命に走る。距離感は難しいが、少し前を行く。離れたら立ち止まり、ばんばさんが追い付くのを待った。果てしない道程を、果てしない時間をかけて奈良県に辿り着いた。

 奈良市内では、のんびりと大仏見物をしている暇はなかった。山越えを前に日が沈んでしまっては、完走も危ぶまれる。ゆっくり休憩したい気持ちと急く気持ちがせめぎ合った。平城宮跡を越えると、徐々に負荷が増してくる。登りが始まり、山越えを感じ始める。想定していた道が通れず、確認をしながら進む。辺りはオレンジの空が藍色に変わりはじめる。夜が近づく。

 そして、ハプニングは起きた。予定したルートでは生駒山を徒歩で越えられないことが分かったのだ。大阪城への道は、激しく遠くなった。数十キロ単位の迂回をするか、険しい暗峠を越えるかという選択肢が二人に突き付けられた。

 「どちらを選ぶのか?」

 喧嘩した。東生駒駅の前で、そして、暗峠入口に場所を移して、お互いの主張をぶつけた。僕は、大きくルートを変更、迂回して時間さえかければ大阪城に辿り着ける体力を確信していた。ばんばさんの体調は見るからに思わしくなかった。暗峠を越えるのも、大きなルート変更も深刻なダメージに繋がるかもしれない。

 結局、僕は、ほとんど無理矢理に、ばんばさんを電車に押し込んだ。たった一駅、ヒトが作った暖かい電車に揺られ、ヒトが掘ったトンネルを抜けた。繋いで来た線はぷちんと切れたのかもしれない。でも、ここまで走ってきた道程は変わらない。いつかまた、途切れた糸を結びなおすこともできる。

 石切駅で電車を降りたふたりは大阪城へと走り出す。思っていたのとは少し違う、カッコ悪いエンディングが近づいてくる。駆け付けた走友と共に、いろいろな気持ちを抱えたまま、23時5分、大阪城へ辿り着く。232キロに及ぶ勝手に大坂の陣が終わった。

 負け戦だったでしょうか?

 でもね、もうね、そんなことどうでもいいんです。物語でも何でもなく、誰に評価されたいわけでもなく、ただ走りたいままに走る。それだけの3日間でした。それが全部で良かったと思うわけです。オオカミに、野性に。そして、沢山の人に出会えました。これが僕のやりたかったことです。ばんばさんとは、その後、ゆっくり話をする時間がなかったけれど、それはまた次の機会に、暗峠で。

ルート