初レースでの出会い

無謀な108km練習で度胸がついたのか、その後は順調に練習を積み重ねることができた。初フルの勝田全国マラソンではサブ4を達成、その後、長距離耐性をつけるべく50キロ走なども行った。不安は少しずつ減り、むしろ、近づいてくる初ウルトラに胸が躍った。

しかし、セイテンノヘキレキ。大会目前の4月、ある知らせが入った。

僕をウルトラワールドへと引きずり込んだ先輩ランナーYさんとGさんが出場を見合わせるというのだ。それぞれの事情というものがあるのだから仕方ないのだけれど、僕は、途端に不安の渦に飲み込まれた。深く暗い穴の中に落ちていく夢まで見た。初めてのウルトラ、初めての前泊、「コバンザメの如く付いて行けば何とかなるだろう」と思っていたのに、いきなり支えを失うことになってしまった。

最後までふたりが走れるようになることを祈っていた。が、後日、参加賞を代理でもらうため、ふたりから引換証を受け取っていた。心の中で「裏切り者~!」と叫んでいた。僕は決定的にひとりぼっちになってしまった。あんなに楽しみに思えていた初ウルトラが途端に怖くなってきた。

大会前日、僕はひとりぼっちで電車に乗り、チャレンジ富士五湖が行われる富士吉田市へと向かった。受付会場の富士北麓公園体育館で、僕は3組のゼッケンを受け取り、YさんとGさんの2組分を返却した。本当は3人でここにいるはずだったのに…。

ひとりぼっちの体育館はとても広く感じられた しかし、実のところ、数日前にある変化が起こっていた。
通っているジムでコーチと話していた時のことだった。

「一緒に行くはずだった人がふたりとも参加できなくなっちゃって…」
「そうなんですか、それは残念ですね…」

普通なら社交辞令的にフェードアウトする会話。しかし、この瞬間、マラソンの神様が胡椒を一振り。思わぬスパイシー展開が待ち受けていた。何とコーチがこう続けたのだ。

「あ、うちの会員さんの〇〇さんも出場するみたいですよ」

そして、翌日、コーチの紹介で慶太さんと初めて挨拶をした。前日の受付会場でもお互いの健闘を誓い合った。

宿は違うし出場部門も違ったので、結局のところ、レース当日も慶太さんと会うことはできなかった。そして、僕は14時間6分という途方もない時間をかけて、初めてのウルトラマラソンを完走、というか、完歩した。

結果、何を得たのか。100キロ以上を走れるカラダに感謝したし、しばらくはキラキラ光る完走メダルを見てニンマリしていた。マラソンの新しい楽しみ方を知って嬉しかったし、これからランニングを続けていく上での良い経験値を積むことができたとも思っていた。

でも、そんなことは意味でも意義でもなかったのだ。

時を経て今思う。大事なのは、この出会いこそがハチャメチャでワンダフルな恒例行事への扉だったということだけだ。勝手にウルトラマラソンはこの出会いから生まれた。数ヶ月後、慶太さんはジムのロッカールームでおもむろにこう云うのだ。

「東京まで走りませんか」







はじまりのはじまり

「やりますか!!」

誘う方も誘う方だが、今思えば、僕も随分と簡単に応えたものだ。はっきり云って、この時点では慶太さんをほぼ知らなかったというのに。名前、チャレンジ富士五湖に参加したこと、同じジムの会員であること、知っているのはそれだけだった。「知らないおじさんについて行っちゃ駄目」な世の中で、「ほぼ知らない人と1日かけて100キロ一緒に走ること」に躊躇いを感じないのは、ランナーの不思議な連帯感か、それともただの阿呆か。いずれにせよ、応えてしまったのだから仕方がない。ジムで顔を合わせる度に、少しずつお互いの希望を摺り合わせて行った。(といっても、殆どが僕のわがままだったのだけれど…)

何より最大のわがままは「大晦日にやりたい」ということだった。こたつに入ってみかんを食べながら紅白歌合戦を見る風習を棄てろというのだから横暴極まりない。でも、ただブログにキャッチーなフレーズで書きたいというだけの理由で駄駄を捏ねる僕に、慶太さんは合わせてくれた。ありがたや、ありがたや。そして、その後も、慶太さんは僕の繰り出すわがままを丁寧、且つ、迅速に処理し、気がつけば綺麗にまとめあげられた企画書ができていた。

その名も「勝手にウルトラマラソン」。ゴールは開業したての東京スカイツリー、スタートは宇都宮タワーに設定した。その距離およそ100キロ。完走後にはスカイツリーに上り、日本一高い建造物でガッツポーズをしてやろうという算段だ。

慶太さんの企画書にはコースや設定ペース、各ポイントの通過時間、休憩ポイントなどが細かく記されていて、まるで大会のパンフレットのようだった。大会に参加するランナーのように、僕はただ宿泊の予約と打ち上げをするレストランの予約、そして、スカイツリーのチケットを手配するくらいで良かった。そして、この「余裕」がふたつの試みを思いつく時間をくれた。

ひとつは「生中継」

この企画が形になる前から、一緒に大会に出た何人かのラン仲間には「大晦日に100キロ走ること」は伝えていた。そして、その中には応援に駆けつけてくれる、あるいは、一緒に走ってくれるという人までいた。ありがたや、ありがたや。富士五湖でもたくさんの応援に勇気づけられたし、長い時間を頑張るためには応援があるととてもありがたい。しかし、この馬鹿に付き合ってくれる人に位置を伝える術が見当たらない。マラソン大会で何度も顔を合わせているような仲間でも、ブログやSNSを経由して交流しているので電話番号など知らないのだ。100キロという途方もない距離を走るのに、その途中途中で立ち止まって携帯を操作しているのも煩わしい。ならば、位置を常に配信し続ければいいのではないか?そんな単純な発想からUstreamで中継することにした。

そして、もうひとつは「ノボリ」

100キロ走ると云っても、端から見ればただのジョガーだ。応援に駆けつけてくれる人の中には数回しかあったことのない人もいる。せっかく来てくれても気付かれないのでは意味がない。ならば何か目印が必要だ。バラの花を胸に差してもいいのだけれど、あまりにも恥ずかしすぎるし遠くからでも分かるものの方が好ましい。そう云えば、マラソン大会でノボリを担いで走っている人がいた。向けられる声援も仮装ランナーに対してのそれと変わらないくらい多い。仲間との合流に加え、もしかしたら見知らぬ人まで応援してくれるかもしれない。ありがたや、ありがたや。調べてみれば適度なサイズ、手頃な価格のものもあった。興奮に身を任せ、一気にデザインして、気がついたら発注していた。

バックパックに園芸用の支柱を固定してノボリを立てた

こうして準備は整った。富士五湖を待っていた半年間とは違い、勝手にウルトラマラソンは準備に追われながらあっという間にその日を迎えた。そして、笑いあり涙ありの100キロ男ふたり旅が始まったのだった。








あたたかな序盤戦

大晦日の朝、慶太さんとはスタート地点の宇都宮タワーに向かう始発列車の中で落ち合う約束になっていた。ここ数日の冷え込みからすると随分ましな寒さではあったけれど、走って丁度良い格好をしているととても体が冷える。

「1日こんなに寒いのだろうか…」

白い息を吐きながらホームで体を擦っていると、時間通りに列車はやって来た。窓の中に明らかにランナーと思しき影を見つけ、その車両に僕は少し早足で駆け寄り、列車に乗り込んだ。

「おはようございます」

お互い挨拶を交わしてみたものの、これから100キロ一緒に走るのだと思うと急いで何かを話す必要もなかった。スタート地点最寄駅までは2駅。しばらくは離ればなれになるであろう暖かさとの別れを惜しむように、座席にぴったりと身を寄せていた。しかし、残酷な程あっという間に目的の駅は近づく。列車はスピードを緩め始めた。その時だった。ふと少し離れた席から一人の女性が近寄って来た。

「がんばって下さい。これ、良かったら」

そう云って、女性は僕たちにカロリーメイトふたつを差し出したのだった。背中に付けたノボリが目に入ったらしい。今年最後のトレッキングに行くであろう出で立ちのその女性は、自分の食料をこの馬鹿なふたりに分け与えてくれたのだ。

「あ、ありがとうございます。がんばります」

スタート前からこんな温かな応援をもらえると思ってもいなかった僕は、少し詰まり気味にそう云うのが精一杯だった。本当に冴えない受け答えをしてしまったものだ。でも、ただそれだけのコミュニケーションが随分と僕たちを勇気づけたことは確かだった。列車を下りた後も冷たい風が吹いていたが、スタート地点までの移動ももう寒いとは思わなかった。

そして、この心温まる応援を皮切りに、スタート後も仲間からの応援が途切れることはなかった。静かに寂しくスタートすると思っていた朝6時の宇都宮タワーにもラン友、ふと気がつけば交差点にラン友、この人放っておくと全部走っちゃうんじゃないかと思うくらい並走してくれるラン友。結局、30キロ過ぎまでほとんど誰かと一緒に走ることができた。ありがたや、ありがたや。

思うに、ウルトラマラソンのキツさは「淋しさ」なのではないだろうか。レースにせよ自主練にせよ、100キロのコースともなると賑やかな町並みが続くはずもない。視界にヒトがひとりもいないことだってある。独り淡々と歩を重ねるだけ、ひたすら自分と対峙し続ける時間は想像以上に堪える。だから、応援してくれるヒトや傍を走っているランナーとのコミュニケーションはとても大切なのだ。

フルマラソンの大会で見ず知らずのランナーに声をかけることは殆どないが、チャレンジ富士五湖ではたくさんのランナーと話した。エイドで一緒に補給をしたり、ペーサー役を交代しながら互いの折れそうな気持ちを支えたりもした。たとえ走れず歩く羽目になっても、誰かといると恐ろしく膨大に思えたゴールまでの距離・残り時間も苦にせず消化できた。

ただ声を掛けてもらえるだけでもいい。フルやハーフの大会では時折応える余裕がないこともあるけれど、ウルトラは全くの別世界。もうリタイアしようかと思っていても、たった一人「がんばれ」の言葉を投げかけてくれるだけで、もう何キロか走れるように思える。そうして、ゴールまでの道程を繋いでいくのだ。

この日も、そんな沢山の応援に支えられて走っていた。いや、むしろ、応援がなければ早期企画終了の危機であったと云っても間違いではないのだ。実はこの時、一人の男がとても苦しんでいたのである。数々のウルトラマラソンを走りタフネスには定評のある慶太さん、その人である。平然とした顔つきとは裏腹に内臓をやられ、走ることが困難になっていた。(理由は皆様のご想像にお任せする。師走だし、人付き合いの良い慶太さんだから当然の帰結だ)

走っている時は僕もそこまでとは思っていなかったのだけれど、後々話を聞いてびっくりした。「20キロ地点の小山駅で電車に乗る」という選択肢を真剣に検討していたらしい。しかも、スタート直後から気持ち悪い状態が続いていたという。きっと「この先何十キロも同じ状態かもしれないという」不安と戦いながら、気持ちが折れる手前ギリギリの線で踏ん張っていたのだ。

想像するだけでも恐ろしい。僕だったらすぐに逃げ出すかもしれない。けれど、慶太さんは逃げなかった。一歩一歩着実に歩を重ねた。県境を越えた頃、仲間もいなくなった。それでも、状況が好転するのをただただ待ちながら慶太さんは走った。ここまでの仲間の応援を裏切るわけには行かない。きっとそんな思いでただただ前に進んだのだろう。

僕は付かず離れず少し前を走るように心がけた。こういう時は引っ張り役に徹するしかない。どうにか55キロ地点まで、休憩ポイントの道の駅ごかまで辿り着かなければ…。暖かい道の駅で栄養を摂って休もう。そうすればきっと慶太さんも回復する。根拠はなかったがそう信じて走るしかなかった。

「とにかく道の駅へ、そうすればきっと…」

しかし、待ち受けていたのはあまりにも無情な展開だった。仲間を裏切らんとして走ったふたりの思いを打ち砕く、ある裏切りの光景が待ち受けていたのだった。







瀕死の中盤戦

声が出なかった。呆然と立ち尽くした。無情の文字が僕等をどん底に突き落とした。

「年末年始休業」

辿り着いた道の駅ごかは営業していなかった。

道の駅に休みなんかあっていいのか。往来の激しい年末年始に何故店を開けない。僕等は走ってここまで来たんだ。59キロも走ったんだぞ、なぜそれを労ってくれないのだ。温かなそばで疲れを癒す必要があるんだ。お願いだ、店を開けてくれ。開けてくれないなら、もう道の駅なんか使ってやるもんか。

ひとしきり憎悪に燃えるふたりの心ではあったが、体の熱は奪われて行く。すでにガス欠寸前だ。程なくして自分たちの計画の甘さに白旗を上げざるを得なくなった。とぼとぼと自販機に近寄り、寒さに震えた時の定番、ココアを買った。

はっきり云って、痛恨の補給ミスだった。フルマラソンに「35キロの壁」という言葉があるのはそこがエネルギーの枯渇ポイントだからだ。補給をしなければ体に蓄えられたエネルギーはなくなり、活動することができなくなる。ウルトラマラソンならば尚のこと。タンクが空っぽにならないように絶えず燃料を入れてやらなければいけない。

それだというのに、目を擦って何度見ても目の前の店は閉まっている。手持ちの食料もない。結局、残された選択肢は一つしかなかった。前進あるのみ。そして、一刻も早く新たな休憩ポイントを探し出し、何でもいいから食べること。ふたりは重い腰を上げて力なく走り出した。

体調不良の慶太さんはもとより、エネルギー切れで僕も限界が近かった。当然ペースは上がらない。砂漠でオアシスを探す痩せ細った旅人のように朦朧としながら頼りない足取りで進んだ。

5キロを過ぎた頃、遠くにファミリーマートの看板が見えたような気がした。しかし、それはただの願望だった。

ようやくひとつ自販機を見つけ、縋るようにしてまたココアを買った。どうにか走り出す。デジタルカメラを自販機の脇に置き忘れたことに気付き、少し逆戻りする。何なのだ、この卑劣な世界は。きっと、何かの法律が施行されて、コンビニなんてこの世界にはなくなってしまったのかもしれない。

もう5キロを過ぎた頃、ローソンの看板が見えた。しかし、それは愚か者の幻覚だった。

実に1時間以上走ったというのに、コンビニひとつ、ファースフード店のひとつもありはしなかった。一体、ここは日本なのだろうか。そんな気すらした。走っていながら、体が熱を発していない。もしかしたら、走りながら絶命するのでないか。胸の前には生中継のカメラをつけているというのに、気の利いたトークは愚か、もはや一言も喋ることができない。何かの法律が施行されて、コンビニ同様に僕の声もこの世から姿を消してしまったのだ。

結局、コンビニがあったのは道の駅から15キロの地点だった。枯渇した体から実に1000キロカロリーをどうにか捻り出して辿り着いたところに、セブンイレブンが確かに存在した。僕達は貪るように温かな煮ぼうとうを食べた。

つゆまで全て飲み干した。体に少しずつ熱が帰って来るのを感じる。ゴールしたわけでもないのに涙が出て来た。慶太さんもどうやら少し落ち着いた様子だった。コンビニのお客さんからも声援をもらった。そうだった。すっかり忘れていたけれど、スカイツリーまで走るんだった。ようやく思考も戻って来た。

ゴールのスカイツリーまではもう25キロ程のはずだ。展望台への入場の為に夜8時半までには到着しなければいけなかった。ここまで随分と遅れを取ってしまってはいたが、まだどうにか間に合う。

「がんばりましょう」

慶太さんと走る気持ちを確認し合い、僕たちは再び東京スカイツリーを目指して走り始めた。







挑戦の終わり

ひとときの休足を終えたふたりは埼玉県内をひたすら南下し続けた。

空腹が治まった分、残りの距離や時間、カラダの疲労が気になる。すね、ふくらはぎ、腰、肩、全てが痛い。信号で止まるたびにストレッチを繰り返しては、残り距離をカウントダウンしていった。口をついて弱音が出てくる。

それに対して、ここまでペースを上げられなかった慶太さんは調子を取り戻していた。まるで別人のように淡々と必要なペースを刻む。

「煮ぼうとうが効きました。」

けろっとした顔でそんなことを云う。何たる回復力。さっきまでの不調は演技かと思う程だ。ここまでほとんど並走することができなかったというのに、隣に並ぶどころか、むしろ、僕が引っ張ってもらう状況になっていた。

ただ、完走という目標に対しての不安は随分と薄らいでいた。まだ東京には入っていないものの、残り距離はハーフマラソンと同じ21キロ。普段の大会では2時間を超えることまずない。スカイツリー展望台への入場の為には9時までに着かなければいけない。猶予は3時間、ゆっくりのんびりで良かった。あんなに無かったコンビニもここでは1キロ毎にある。ココアで温まりながら歩を進めた。

「草加に入りました」
「そうか、そうか」

そんな掛け合いをする余裕すらあった。どんどん都会になるにつれて信号待ちも多くなり、休憩を取れる時間も増えた。休み休み走って、痛む体もごまかせた。何だか妙に楽しかった。時折、ランナーズハイもやってくる。気持ちがいい…。

しかし…。

しかし…。

本当ならばもう少し早い段階で気がつくべきだった。何故、今楽しくなっているのかを疑うべきだったのだ。

楽なのは信号待ちが多いから。つまり、知らず知らずのうちに休憩時間が拡大していた。余裕と思われたペースも止まらなければこそ。残り10キロになった頃には随分と追いつめられて来た。1キロ7分のペースで進めばいいはずが、1キロ5分のペースが必要になった。しかし、すでに90キロ以上を走っている。太ももはパンパンだ。もう無理かもしれないという考えが浮かぶ。

必死にその気持ちを打ち消した。それでも懸命に走った。ギリギリでも間に合いさえすればいい。最後の力を振り絞れば辿り着けるはずだ。息が上がる。苦しい。でも、走れ。走れ、走れ、走れ。赤信号で止まる。ストレッチをしようとしても、もう膝が曲がらない。

「ロボットだぁ、もう~」

脚の感覚もなくなってきた。信号が青になる。進め。何だっていい、前に進め。慶太さんは持ち前のタフネスを発揮して、携帯片手にナビゲーションしながら僕を引っ張ってくれる。経験値の違いが目に見える。前半とはまるで正反対だ。ついに弱音を吐きそうになった僕を先導し、力強く前に進む。

千住新橋に辿り着き、スカイツリーが見えた。その小ささに呆然とさせられた。まだこんなに遠いのか。絶望的だった。予定していた距離よりもスカイツリーは遠かったのだ。落胆しながらふたりは歩いた。その時、ランニングウォッチは走行距離が100キロになったことを示した。そして、ついに僕は云ってしまった。

ぷ:「登りたいよ、でも…」
慶:「タクシー、使っちゃおうか。100キロ走ったから…」

慶太さんに云わせてしまった。

ぷ:「100キロ走ったもんね。その代わりリベンジする!」
慶:「これはもうリベンジしないと行けなくなちゃったね…」

千住新橋を渡り切った所で半べそかきながらタクシーを止めた。

こうして僕等の挑戦が終わった。

スカイツリーの展望台からは大晦日の東京が輝いて見えた。
2012年が終わり、2013年が始まろうとしていた。

幸か不幸か、千住新橋の上で2013年の目標は決まっていた。
そう、2013年リベンジの年へと僕等は駆け込もうとしていた。

>>> run.3


走行ルート